半田沼の赤べこ

■半田沼の赤べこ[はんだぬま‐あか‐]

▽解説

 福島県伊達郡桑折町の半田沼の主は赤牛(あかうし、あかべこ)であると伝えられています。

 文治年間(1185~1190)、源義経が金売吉次を伴って平泉の藤原秀衡方へ向かおうとしていたときのこと。奥州の悪路である半田山にさしかかると、金銀を背負っていた牛がにわかに狂いだして沼へ落ちていきました。牛はそのまま沼の主となり、半田沼の赤牛と呼ばれるようになりました。
 それから月日が過ぎたあるときのこと。
 森江野村塚野目の「塚野目殿」と呼ばれる武家の一人娘が病の床につき、しきりに「半田沼の水を飲みたい」などと口走るようになりました。
 不憫に思った母が沼の水を飲ませると不思議にも病は癒えましたが、以後も同様のことが続き、やがて娘は不意に寝床から姿を消してしまいました。
 娘の行方は少しも分からず、ただ半田沼のほとりの松の枝にかかった着物だけが発見されました。娘は沼の主に魅入られていたのだと悟った父親は、水練の者に沼底を調べさせました。
 潜水者が水中から聞こえてくる機織りの音を頼りに進んでいくと、沼底に立派な屋敷があり、その奥の間で塚野目の娘が機織りをしていました。彼女は半田沼の主の妻となり、もはや家には帰れない身でした。
 「あれが目を覚ましたら、あなたの命はありません」
 娘がそっと襖を開けると、その先の八畳間では大きな赤牛が昼寝をしていました。娘は逃げ帰ろうとする水練の者に着物の片袖を託し、父母に己の消息を伝えました。
 後年、旱魃が続くと村人は半田沼で雨乞いを行いましたが、塚野目の者が行くと必ず雨が降ったといいます。


 同じく伊達郡の梁川町には、半田沼の「赤べご」が村の娘を嫁に取る「猿婿」型の昔話が伝わっています。
 ある日照りの年、村人たちは半田沼の主である赤べごに祈って雨を降らせてもらい、その礼として村長の末娘が赤べごに嫁入りすることになりました。
 立派な婿の姿に化けてきた赤べごに連れられ、娘は沼の中の座敷で暮らすことになりました。
 やがて三月節句に里帰りを許された娘は、父親に餅を食べさせたいので臼を運んでほしいと赤べごに頼みました。
 赤べごはまた婿の姿になり、臼を背負って嫁に同行しました。道中、節句を祝う桃の花を取ってほしいとせがまれた赤べごは、枝を折り折ろうとして木から転落し、重い臼の下敷きとなって死にました。
 

▽関連

赤べこ
猿婿




 こっちの赤べこは恐ろしい沼の主です。すこし離れた町だと威光が弱まってるのか、娘の機転で退治される存在になってしまっているのがちょっと面白いですね。