大手の白けつ

■大手の白けつ[おおて‐しろ‐]

▽解説

 宮城県登米市登米町に伝わるものです。

 
 万治元年(1658)のある日。
 横山外記の子である某が城勤めを終えた帰り道、大橋のあたりにさしかかった時のことです。
 白い「けつ」を出した怪物が橋の下から大声をあげて某に襲いかかってきました。
 某はすぐさま抜刀してこれを斬り捨てましたが、その正体は怪物ではなく人間でした。
 このことを知った父の外記はただちに登城して主君に事の次第を報告、検死を願い出て結果を待ちました。
 やがて斬られた者は岸波太郎左衛門の下僕であったことが判明しました。彼は人を驚かすことが好きな変態者で、この日も妖怪のまねごとをして誰かを驚かそうとしていたものとみえました。
 事態をいかに収めるかについて家老たちの意見はまとまらず、仙台へ飛脚を送って伺いを立てるまでの騒ぎとなりましたが、結局かの男は主人の命で切腹して果てたことにされました。
 この一件が「大手の白けつ」の話として語られるようになったということです。



 
 宮城妖怪事典さんが掘り起こされたことで妖怪界隈にその名を轟かせることになった衝撃のお尻です。
 白けつという身も蓋もない呼び名の良さもさることながら「変態者」という表現もまた味わい深い。
 たった一瞬の輝きではありましたが登米の変態者はたしかに白けつという妖怪をこの世に現出せしめ、城中にまで混乱を巻き起こしたのですから偉大です。西鶴の「人はばけもの、世にないものはなし」という言葉がしみじみと思い起こされますね。