鼠大明神

■鼠大明神[ねずみだいみょうじん]

▽解説

 長野県埴科郡坂城町に伝わるもので、同町の「鼠」「岩鼻」その他の地名の由来になったといわれる話です。


 昔、鼠宿の村に危険な毒虫の恙虫(ツツガムシ)が発生したため、村人たちは近くの洞穴に棲む大鼠に退治してもらおうと考えました。
 村役人が虫退治を依頼すると大鼠はこれを承諾し、それから三日と経たないうちに恙虫を舐め尽くして全滅させました。
 村人たちは感謝のしるしに毎日大鼠に飯や魚を差し出しました。好物を食べ続け、鼠は更に巨大になっていきました。
 やがて鼠は村内をはばかることなく徘徊しては兎や鶏を食い荒らすようになりました。

 ある時、ついに鼠のために老婆の手首がかじりとられるという事件が起きて、村内は大騒ぎになりました。
 恩ある鼠とはいえここまで増長しては見過ごすこともできず、若者たちは鼠を退治することを決めました。
 しかしいざとなると立ち向かう者はおらず、鼠退治には猫がふさわしいと考えたものの、かの大鼠を相手にできるような猫も見つかりません。
 そこで村人の代表の者が、唐の国にいるという虎のような大猫を求めて海を渡りました。
 村人と出会った大唐猫は鼠退治を快諾して村にやって来ました。
 
 大鼠と唐猫は近在に鳴り響くほどの唸り声を上げながら死闘を繰り広げました。
 闘いを制したのは唐猫でした。鼠は突き出た岩鼻に頭を打ちつけて絶命し、その先にあった湖が決壊、荒れ狂う濁流に飲まれて姿を消しました。
 同時に唐猫も凄まじい水の流れに飲み込まれ、どうにか岸に這い上がったものの力尽きて息絶えました。

 人々は果敢に戦った猫に感謝して唐猫(軻良根古、可良根古)神社を建て、また大鼠の最期を哀れんで「鼠大明神」の祠をも建立したといいます。