執心の鼠

■執心の鼠[しゅうしん‐ねずみ]

▽解説

 人の霊魂や執念が鼠に変じて未練ある相手のもとに現れるという展開は説話や怪談に多くみられるものです。
 今回はこのような話の一例として『善悪因果集』巻三にある「女ノ執心鼠ト変化シテ夫ヲ殺ス事」を紹介します。


 近江国堅田浦に勘介という富貴な百姓が暮らしていました。
 その妻は類稀なる美貌の持ち主で、勘介は彼女を寵愛するあまり「もしお前が先に死ぬことになっても、他の女を娶ったりはしない」と約束して、その旨をしたためた誓状まで渡していました。
 その後、彼女は本当に病みついて死んでしまいました。
 勘介はそれから三年ほど独身を貫きましたが、親族たちから「いつまでも独り身では世間体が立たない」などと言われるうち、いつしか己が書いた誓状のことも忘れ、新たな妻を迎えました。
 
 祝言から十日ばかり過ぎた夜のことです。
 一匹の大きな鼠がやって来て、夫婦が臥している上にのぼって、懐などへ入りこもうとしました。
 それからは毎夜、黄昏から曙の時分まで鼠が出るようになり、しかもその数は日を追うごとに段々と増えていきました。
 遂には一度に五十匹ばかりが寝所に現れるようになり、夫婦は大変に苦しみ悩まされることとなりました。様々な手で隙間を塞いでみても、鼠はどこからともなく現れ続けました。
 このことについて占った際に「人の怨念などに思い当たることはないか」と問われ、勘介はようやく先の妻との約束を思い出しました。
 
 勘介はひとまず後妻を親元へと帰しましたが、そうすると鼠は勘介の家のみならず後妻の実家にも現れるようになりました。女の親たちがこの有様を嘆いて暇乞いをしてきたので離縁を承諾したところ、女の家には鼠が出なくなりました。
 しかし勘介宅への鼠の侵入は一向に止まず、祈祷などを頼んでも効験は得られません。そこで新たに四畳半の鼠入らず(鼠が入りこまないよう頑丈に作った棚などのこと)を造って寝所とし、厚さ一寸の栗の木の枝で四方を固め、更にその周辺に五人から七人ほどの従者を置いて警護にあたらせることにしました。
 が、それでもなお鼠は勘介のもとにやって来るのでした。
 番の者にもまとわりついて舐めたり擽ったりしてくるので追いつめて捕まえてみても、鼬ほどの大きさの鼠はたちまち手の中で消え失せてしまいます。
 家人が夜の番で疲れ果てて昼間も眠るようになったため、勘介の田畑は荒れ、財産は失われていきました。
 
 勘介は今度は己が他所へ逃げてみようと思いつき、京へ登り、そのあと敦賀へ下るなどしてみるも、鼠は行く先々に必ず現れて彼を悩ませました。
 そうこうする間に田畑も財も全て他人の手に渡り、万策尽きた勘介は故郷へ帰って村の端に立てた小屋で寝起きするようになりました。
 鼠に責め苛まれた挙句に勘介はやせ衰え、とうとう死んでしまったということです。


▽註

・『善悪因果集』…仏教説話集。蓮盛の編。全五巻。宝永八年(1711)刊。


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