お香代水神

■お香代水神[‐かよすいじん]

▽解説

 長野県飯田市千代に伝わるもので、禿(かむろ、かぶろ)水神とも呼ばれています。


 昔、千代村の庄屋・徳兵衛は三十三観音参りを終えて帰る途中、見慣れない女の子に出会いました。
 女の子は河原の石に手を合わせて一心に拝んでいたかと思うと、やがて着物のまま川に入ってアメノウオ(アマゴ)を手当たり次第に捕まえました。
 この子の名はお香代ということが分かりましたが、どこから来たのか訊いても「あっち」と答えるばかり。子のない徳兵衛はお香代を連れ帰って面倒をみることにしました。
 お香代は徳兵衛夫婦に可愛がられましたが、寝るときは布団に入らず囲炉裏端で横になるなど不思議なところがありました。また家の手伝いをよくしましたが、暇さえあれば近所の子らと米川の川原で遊び、捕えたアメノウオを分け与えていました。
 
 お香代が来た翌年の六月、村は七日七晩降り続く大雨に見舞われ、米川は氾濫し田畑は流されてしまいました。
 この時、お香代は徳兵衛に向かって、自分に白い着物を着せ、「八大龍王」と書いた紅白の旗を米川のほとりに立ててほしいと頼みました。
 あまりに真剣な様子を見て徳兵衛がその通りにしてやると、白装束のお香代は赤い襷と鉢巻を着け、川に向かって叫びました。
 「南無八大龍王、この雨、風、止めさせたまえ」
 繰り返し唱えるうちに雨風はやみ、米川の大水もおさまっていきました。
 ところがこれを境にお香代は姿を消してしまい、徳兵衛たちがどれだけ探しても見つからないままでした。
 そして七月のある夜に、米川の方から蛍の大群と共にお香代がやって来ました。
 お香代は徳兵衛夫婦に礼を言い、今は水神の使いとなって米川の禿淵に住んでいると告げました。日照りで困ったときには禿淵に赤い帯、赤い旗、赤い鼻緒の下駄を供えれば雨を呼ぶと言い残して、お香代は蛍とともにまた姿を消しました。


 上記のような話の他に、お香代は米川の河原町に流れてきた乞食の少女であったとする説もあります。
 どこか気品ある美しさをもっていた娘は裕福な夫婦に拾われてお香代と名付けられて養育されますが、物心ついて己の出自を知ってからは悲しみに沈むようになり、やがて夫婦のもとからも姿を消しました。
 消息は知れず、諦めて葬式を行ったところ、その夜になって夫婦の枕元にずぶ濡れのお香代が現れました。お香代は自分が禿淵の主となったことを告げて、日照りの際には雨乞いをすれば必ず雨を呼ぶと約束し、育ての親に永遠の別れを告げて闇に消えたといいます。夫婦はこのことを村人たちに話し、お香代を祀って不動様と呼んだといいます。