伊吹山の水神

■伊吹山の水神[いぶきやま‐すいじん]

▽解説

 『金玉ねぢぶくさ』巻之七には「伊吹山の水神」という話が収められています。

 
 江州伊吹山には様々な草が生えており、昔から多くの人が薬草を求めて分け入っていました。守山宿の医師・玄仲(げんちゅう)もそのような者の一人でした。
 ある時、山中で薬草を探している彼のもとに一匹の猿がやって来ました。猿は裾を咥えて玄仲をどこかへ連れて行こうとしました。もしや知られざる名草でもあるのだろうか、と期待して猿に引かれるまま行けば、はるか山奥の洞穴の前に至りました。
 そこには猿が群れをなしており、難産で苦しむ一匹の雌猿を見守っていました。事情を察した玄仲は携帯していた産の薬を雌猿に与え、無事出産へと導いてやりました。
 里へ帰ろうとすると、ある老猿が封印の施された香箱を玄仲に差し出しました。礼の品のようですが、老猿の仕草は決してこの蓋を開いてはならないと伝えるものでした。ともあれ、玄仲は初めに出会った猿の案内で麓まで戻ってきたので、そこからはまた一人で歩きだしました。

 日が暮れてきた頃、玄仲は大きな淵の傍を通りかかりました。
 すると水面が俄かに揺れて、淵から五斗俵のようなものが現れました。
 玄仲は大いに驚き、一心に経を唱えて逃げ出しました。ようやく麓の里に行き着いて人家に宿を求めると、事情を聞いた主人はこう語りました。
 「その池には主がいて、神霊甚だ猛きものだ。知らずに通れば必ずかの蛇に捕えられてしまう。もしその場を逃れたとしても、一度その姿を見た者はついに取られずということはない。御身も今宵の内に命を取られてしまうことでしょう。いたわしいことだが、そのような訳で死人に宿をとらせるようなことはできないのだ」
 それでもなお玄仲が頼みこむと、主人もさすがに哀れに思って「ならば我々一家の者は他へ移り、御身ひとりでこの家にて一夜を明かしなさい。せいぜい仏神へ祈誓をかけ、難を逃れるよう祈られるがよいでしょう」と家を貸してやることにしました。
 
 家にただ独りとなり心細くなった玄仲は、灯火のもとで猿に貰った香箱を取り出しました。
 開封を禁じられてはいるものの、今宵限りの命ならばせめて中の宝を見てみようと思い立ち、ついに封を切って蓋を開けました。
 箱に入っていたのは一匹の小さな百足でした。
 百足は壁を這って窓へ登り、そのままどこかへ行ってしまいました。
 それからは何事もなく、静かに夜は更けていきました。

 丑三つ時を過ぎた事、窓の辺りで凄まじい物音がしたかと思うと家まで揺れ動くほどになり、玄仲は「いよいよ変化に命を取られる刻限か」と普門品を唱えて最期を待ちました。
 ところが彼の身には何も起こらず、やがて家の鳴動も止み、夜も明けて東雲がたなびき始めました。
 様子を見に来た人々は玄仲が生存していることを不思議に思い、窓の下を調べると、そこには長さ一尺ほどの小蛇と、それに食らいついた百足が共に死んでいるのが見つかりました。
 こうしてかの淵の悪神は滅び、これ以降は近隣の村も災いを免れたといいます。
 

▽註

・『金玉ねぢぶくさ』…浮世草子、奇談集。章花堂作。元禄17年(1704)序。

▽関連

百足


 
 龍蛇と百足は永遠のライバルですねー。こんなところでも戦ってたのか!