お頼

■お頼[‐より]

▽解説

 曲亭馬琴の『箕輪奇談』(『宿六物語』『箕輪の比翼塚由来記』とも)の登場人物です。お頼の読みは「おより」ではなく「おらい」として紹介されていることもあります。

 『箕輪奇談』は馬琴が市で買い求めた『近世稀有談』なる古書にある「宿六箕輪の噺」を校正し出版したという体裁の物語で、「宿六」こと宿屋六助の名を継いだ者たちとその縁者の数奇な運命を描いたものです。
 「世俗に家の主人を宿六といふ事の謂れ」を探っていた馬琴が出会った話ということになっており、実際この話が亭主を宿六と呼ぶ由来であると説明されることもありますが、物語上の付会にすぎないものと思われます。


 品川宿の旅籠「宿屋」の主・二代目六助は、もと上総国夷隅郡種置村の百姓の子で、幼名を要吉といいました。孤児で放埓な乱暴者であった彼は寺に入れられるも破戒のち還俗して権次と名を改め、江戸に流れて初代六助と死別した後家お市と通じて宿屋の新たな主となりました。
 二代目六助はお市との間に六次郎という息子をもうけましたが、お市に恋慕した従弟の勘太郎の手で殺害されてしまいます。その後は本多家家臣益田分左衛門の次男・分七郎が入婿となって三代目六助を名乗り、六次郎とも睦まじく暮らしました。
 
 時は流れて六次郎が二十歳の年。
 ある日六次郎は下男と共に浅草へ赴き、観音参詣や梅見をして過ごしていました。そんな彼の風流な男ぶりに見惚れている年の頃十六、七の娘がいました。その名はお頼。日本橋の御納屋太郎兵衛の娘でした。
 お頼の視線に気付いた六次郎でしたが、その顔貌の醜さに思わず顔を背けて素知らぬ顔をしてしまいます。
 大店の息女と知ってなお六次郎は「このような醜女が世にあるものか」と、顔を見るのさえ厭に思っていました。

 六次郎に恋煩いのお頼。不憫に思った母親らは替玉を使うなどして宿六に働きかけ、どうにか縁談を成立させようとしますが上手くいきません。旧知の下男を買収し、宿六にも金を積んで懇願しますが、却って当惑させてしまい結局は破談になってしまいました。
 このことを知ったお頼は大いに悲しみ嘆き、恋の病の床に臥せるようになりました。医薬も祈祷も効き目がなく、お頼とその親は宿六親子を情け知らずと恨むようになりました。

 その後、六次郎は器量良しの娘との縁談が調いましたが、いよいよ祝言の日取りを決めようかという段になって娘が急病にかかり回復せず、そのまま破談となりました。
 また別の娘との縁談が持ち上がるも、今度も相手が急病に襲われます。しかも今度は嫁入りの当日。花嫁衣装のまま大熱を発して狂乱し、「ああ苦しい、お助けください」と叫び呻いて悶え苦しむ異様な有様でした。
 これをきっかけにまた破談となり、後にも縁談が調い始めると決まって縁女の病で話が潰えてしまうということが繰り返されました。
 そんな中、六次郎は新宿の旅籠屋久五郎の一人娘お絹と知り合い、互いに惹かれあうようになりました。

 やがて寝ても覚めてもお絹のことばかり想うようになった六次郎は、一睡のうちにある夢を見ます。
 夢の中、雪に難儀している六次郎のもとに蛇の目傘を差し塗駒下駄を履いた婦人が来て「さぞかし御難儀なさっていることでしょう、この傘の内へお入りください」と声をかけました。お絹によく似た女の誘いに喜んだ六次郎は、相合傘で雪の中を歩きました。しかし降り積もる雪の冷たさにいよいよ身動きがとれなくなります。
 ふとまた彼女を見やると、お絹に似ていると思っていたその顔は、いつの間にか醜いお頼そのものに変わっていました。
 驚き逃げ出そうとする六次郎ですが、すくんだ手足は思うように動かず、恐ろしさに声を上げたところで目が覚めました。
 
 お絹が六次郎へ嫁することが決まると、彼女の身体には細かい腫物が生じて悪寒と発熱に悩まされるようになりました。それでも病状は快方に向かったので嫁入りしたところ、宿屋に移った当日に月経が始まり出血夥しく、夫婦の契りを交わすことができないばかりか、その後一月以上出血が続くという異常に見舞われました。
 医師の治療を受けて長血の患いは少しずつ薄らいでいきましたが、それでも六次郎は夜の語らいもなく、背を向けて眠るようになっていました。
 何か言葉をかけようとすれば却って六次郎の気に障り、やがてやることなすこと気に入らなくなって一緒にいることさえ嫌がるようになる始末。悲しみに沈むお絹は明け暮れ涙の絶え間なく、とうとう再び病の床についてしまいました。
 六次郎はやつれたお絹にかのお頼の面影を見ていよいよ恐れをなし、彼女を避けるようになりました。
 このようなことがあってまたしても不縁となり、お絹は周囲の計らいによって宿屋を出ることになりました。そして長州様へ奉公へ上がりましたが、自身は六次郎への貞操を貫き、復縁を強く望んでいました。
 六次郎も度重なる不幸の陰にお頼の怨念を悟り、この後は敢えて妻を求めようとはしませんでした。お絹を離縁してからの六次郎は鬱々として楽しまず、外出も少なくなっていました。

 年を経て、六次郎は芝居見物に行った折りに喧嘩に巻き込まれて負傷し、長州侯出入りの医師の診察を受けました。
 これをきっかけにお絹は元の夫の負傷を知り、その身を案じて水垢離をとって神仏に祈りを奉げました。しかしその行動が誤解を呼んで不義の疑いをかけられ、屋敷を追い出されたうえ、かの勘太郎に騙されて苦界に身を沈める羽目になりました。かくしてお絹は中万字屋の眞墨(まずみ)という遊女になりました。
 一方、宿六の家は明和の大火で被災したことから零落し、六次郎は寿司売りに身をやつしていました。
 それでも六次郎は眞墨となったお絹と再会を果たし、ようやく互いの心が通じ合って逢瀬を楽しむ仲となりました。しかしながら、実父の仇である勘太郎とも出会った六次郎は、彼との諍いの中で堀に投げ込まれて冷たい泥を多量に飲んでしまい、それが元で衰弱死してしまいました。
 享年二十六歳、六次郎は箕輪の寺に葬られました。
 なお、お尋ね者となった勘太郎は後に捕えられ死刑に処されたということです。

 眞墨は六次郎死後に宝屋一太郎という者に身請けされてお絹に戻りましたが、彼の心に従う前に一度だけ六次郎の菩提寺に参りたいと懇願します。事情を知る一太郎は願いを聞き入れました。
 その翌日、箕輪の菩提寺。お絹は六次郎の墓前にて懐剣で己が喉を貫き、二十四年の生涯を閉じました。

 お絹の亡骸は六次郎と同じ場所に埋められ、その上には印の石が置かれました。これこそ世にいう箕輪の比翼塚の起こりであるといいます。
 また、この後には宿六も出家遁世して吾道と名を変え、六次郎とお絹の菩提を弔いながら余生を送ったといいます。

 一連の悲劇の発端は二代目六助こと権次が出家の身で破戒の悪念を生じ、世の歓楽を極めようとしたことで、これを天が許さなかったために彼の子孫にまで報いが及んだのだといいます。
 六次郎の恋路を妨げ続けたお頼の執念も凄まじく、「悪女の深情け」を体現したものだと語られています。対して情死を遂げたお絹は正しく婦女の亀鑑であると賞され、この物語は幕を下ろします。
 



 これもなかなか読んでいてつらいお話ですね……。
 お頼自身のその後は語られないのに、その怨念だけは延々と六次郎を不幸に陥れるという。お頼の霊が出てきて直接危害を加えてくるわけでもなく、ひたすら婚約者を病気にして、それがいちいち明言されないまでも怨念のなせる業で、それに翻弄されるしかないという。陰惨~!