無極道人

■無極道人[むきょくどうじん]

▽解説

 明治時代に出版された漢学者・石川鴻斎による怪談集『夜窓鬼談』の掉尾を飾る一編「混沌子 一名大地球未来記」に登場する人物です。
 無極とは果てのないこと、人知を超えたところ、宇宙の根源といった意味があるようです。


 渤海の東に峨々と聳える磅磄山(ほうとうさん)は古より神仙の住む所といわれていました。
 この山の崖下にある洞窟には「無極道人」と号する異人が暮らしていました。彼は天地万物の始終を悉く知っていましたが、深山幽谷に住んでいたためその存在は人には知られていませんでした。
 また、混沌子(こんとんし)という博覧多識で諸氏百家の言葉に通じる者がいました。しかし彼は書籍は古人の知識の糟粕に過ぎないと考え、未来について知ることが叶わないのを思い悩んで寝食を忘れるにいたり、日夜一室でぼんやりと過ごしていました。
 ある時、山中に隠れ住む道人の噂を聞いた混沌子は、大いに喜んで洞窟を訪ねました。

 枯木のような無極道人は混沌子の姿を見ると、まだ彼が何も言わないうちに微笑んでこう言いました。
 「混沌子よ、さあ、こちらへ来い。わしは長い間おまえを待っておった」
 続けて「わしはおまえに天地の生成滅亡、世界の変遷について語ってやろう」と言い、混沌子はあまりのことに言葉が出ないままでした。
 道人は己を「天地とともに生まれ、天地とともに死する者」と称し、これまでに五回の生死を経ており、前世のことを記憶し、後世のことをも知っていると語ります。
 そしてまず混沌子に天地開闢から初めて山海が形をなし、生命が芽生えて人が生じた歴史について教えました。
 道人によれば人類が誕生したとき、それはあたかも茸が湿地に発生し、蛆が腐肉に湧くような様子であったといいます。それが蒸気が凝るようにして五体をなし、猿のような形になると、衣食を得て生活するようになったのだといいます。そして後には胎生するようになり、それによって家族をなして暮らし始めたのだといいます。

 混沌子が地球の寿命について問うと、道人は物事には必ず始まりと終わりがあるとして次のように説きました。
 「造化が行われた後、一万二千年を未開の世となし、続く一万二千年を開明の世となし、それから後の一万二千年を濁乱の世となす。都合三万六千年が地球の寿命で、それで終わりだ」
 今は開明の世であって、その盛りは今から一千年ほど後であるとも道人は言います。その頃には文明も等しく進歩し安定して、人間の幸福も絶頂期を迎えるというのです。
 また、現在の地球の人口を十億ほどとすれば、その頃には三十六億ほどに増えているといいます。機械の発達に伴い人跡未踏の山野なども切り拓かれて農地や牧場となり、食糧問題も解決するといいます。
 
 無極道人はやがて地球の滅亡についても説き明かしました。
 曰く、地球は三万六千年をもって日月とともに終焉を迎えるといいます。濁乱の世に至ると生命の源たる太陽が光熱を減じ、地球はその回転を速めるといいます。この時代、人の生命力は薄弱となって寿命は短くなり、肉体も矮小になっています。
 
 再び、道人は文明の隆盛に向かう人類について語ります。
 五大洲の人間は時に争いながらも平和に向かっていき、互いに交わりを結んで利益を図るようになるといいます。混沌子が一人の大統領が世界を総括するという説についての意見を尋ねると、道人はそれは想像であって信ずるに足りないと切り捨てました。
 
 この後も混沌子は古今の法や思想、世界のありようについて問いを重ね、無極道人はそのひとつひとつについて答えていきました。
 そして話題はまた地球の滅亡に移ります。
 太陽が光を減じると、五穀は実らず、鳥獣は育たず、寒気が満ちて全てが凍りつき、やがて地球は一つの氷塊となり、果ては地上から生物はいなくなります。地表が氷に覆われて地球内部の熱は行き場を失い、最後には地軸が破裂し、火と水が入り混じり、地球は巨大な熱泥の固まりと化します。
 こうして地球は滅亡し、太陽も同時期に似た経過を辿って氷塊となりますが、吹き出た熱気は水分を飛ばし、やがて新しい太陽が誕生するといいます。これによって地球は再び形を定め、自然が再生して次の人類が発生するといいます。
 これが仏教でいうところの一劫で、弥勒菩薩が降臨するという五十六億七千万年という年数はこのような経過をも踏まえたものであると道人は考えます。

 地球以外の星々にもこのような世界がそれぞれあって、天に満ちる星にはみな人畜が生活していると道人は言います。この地球は小千世界に属するもので、その外側には三千大千世界があり、更に外には幾億万の世界があるかは知るべくもなく、ただ途方もない数であるということが分かるのみ。これ以上は道人にも知り得ないことなのだといいます。

 様々な話を聞き終えて、混沌子には大いに悟るところがありました。
 そしてなお政治や国家、人心の行き着くところについて尋ねようと顔を上げたとき、もう道人の姿はそこになく、暮方の霞が峰にかかり、松に吹く風の音が聞こえるばかりとなっていました。
 混沌子は洞門を拝して帰路につきました。


 『夜窓奇談』は作者の石川鴻斎が語るところによれば、伝聞を記録したもの、昔から知られる話に拠ったもの、自ら創作したものの三種から成っているといいます。
 「混沌子」は鴻斎の創作とみられ、地球滅亡や国際政治に関する言説が飛び交う文明開化後の時勢を踏まえ、これらの説を神仙と学者の問答という形式に置き換えて語ってみたものであるようです。
 久保田米僊による挿絵には、洞穴の前で敷きつめた草葉の上に座す白髭禿頭の無極道人と、彼に教えを乞う様子の混沌子の姿が描かれています。


▽註

・『夜窓鬼談』…石川鴻斎の怪談奇談集。上下巻。上巻は明治22年(1889)、下巻は明治27年(1894)刊行。漢文で記されている。計四人の画家による挿絵が付されている。




 当時の世間で話題になっていたアレコレに対する著者なりの解釈を含めたある種の諧謔といったところでしょうか。昔ながらの舞台設定で繰り広げられる近代的で壮大なやりとりの中に明治期の風潮や作者の学識が垣間見えるようで面白いので紹介してみました。