雪路

■雪路[ゆきじ]

▽解説

 小枝繁作、蘭斎島北嵩(葛飾北嵩)画で文化五年(1808)に出された読本『高野薙髪刀(こうやかみそり)』の登場人物です。

 
 頃は文安(1444~1449)。
 相州山内の鍛冶職人・虚六平正秀(きょろくへいまさひで)はある日、短刀を打っている最中に、庭先の樹で鳴く蝉を蟷螂(かまきり)が狙っていることに気づきました。思わず蝉を助けようと鉄槌を投げつけたところ、それが蝉と蟷螂を諸共に打ち砕いてしまいました。
 これによって鍛えていた刀には虫の念が宿り、刃紋に蝉と蟷螂が相争う姿が浮かんだ妖刀が誕生しました。蟷螂の殺気を受け継いだかのような素晴らしい切れ味に虚六平は大喜びし、己が手元に秘蔵しておくことにしました。
 しかし刀の祟りを受けて虚六平は病の床に臥せるようになりました。それでも例の短刀を手放さなかったため、次第に病状も悪化して遂に息絶えました。実は虚六平は零落した元武士で、祟りを一身に受けて一代でその怨みを終わらせ、まだ幼い我が子が成人した暁にその名刀を託して家を再興させようとしていたのです。
 虚六平の妻・小藤は夫の死後困窮し、病身の母を養うために我が子を捨てる決断をします。かねてより信仰していた長谷の観音堂を訪れて仏の加護を願いつつ、小藤は涙ながらに我が子を刀と共に置き去りにしました。
 ところが家に帰ってみれば、苦悩の末に選んだ老母は何者かに斬られて既に事切れていました。事情を知った人々が長谷界隈で捨て子を探しましたが、もう高野聖に拾われていったといい、それ以上の行方も辿れなくなっていました。
 小藤は息子との再会に一縷の望みを託し、長谷寺にて剃髪し菩提の道に入るのでした。
 
 小藤の老母を殺害したのは同じ山内に住む無頼の博徒・強八(ごうはち)でした。
 彼は名刀の噂を聞きつけ、かねてよりそれを欲していました。虚六平死去を好機とみて家に押し入るも、短刀は息子に授けられていたため入手できず、ただ老母を殺して信州善光寺の辺りまで逃走していたのです。

 強八が逃れた里には雪路という名の寡婦(やもめ)が暮らしていました。
 少し盛りは過ぎたもののなお容色優れた三十路女で、夫と死別してからは再婚もせず遺産で生活していました。貪利好色なる性質の雪路は今や美少年などを相手に酒色に溺れるばかりか、賭事にも手を染めるという放逸な日々を送っていたため体調を崩し、諏訪温泉へ湯治に赴きました。
 雪路の部屋の隣には都から来た牛都(うしいち)という盲人が泊まっていました。牛都は筑紫琴の名手で、優しげな歌声も素晴らしいものでした。妙なる調べを襖一枚隔てて聴いていた雪路は、その容姿も知らないうちからすっかり彼の虜になってしまいます。
 夜、地震が起きて襖が倒れ、灯火も消えて寝床は闇に包まれました。思わず近くにいた牛都にすがりつく雪路。二人はそのまま四方山話に花を咲かせます。
 幼い頃に疱瘡を患い醜い容姿となった牛都にとって、女性とこれほど親しくなるのは初めてのこと。夢心地でその夜のうちに雪路と契りを交わしました。
 
 翌朝、雪路が目にしたものは、目は二つの牡蠣を並べたごとく、鼻はひしゃげ、口は歪み、蜂の巣のような疱瘡の跡が残る牛都の素顔でした。
 己のあさましい行いを後悔し、体調も戻ったのですぐに家に帰ろうとする雪路。しかし牛都は昨夜の睦言のとおり彼女と夫婦になると言い張って譲りません。仕方なく里に連れ帰り同居を始めるも、牛都は嫉妬深く、雪路がつれない態度をとれば激しく怒り、口汚く罵ることもありました。
 いよいよ嫌気がさした雪路は、今度は賭場で知り合っていた強八と情を通じ、共謀して雪の山中で牛都の殺害に及びました。
 谷底に突き落とされた牛都は岩に当たって四肢が裂け、凄惨な最期を遂げました。

 牛都死亡から七日目の夜、雪路と強八のもとに大きな黒牛に跨った牛都の亡霊が現れました。怨みの籠もった歌を唄う亡霊には、強八が振るう刀も効果がありません。
 この夜から牛都の亡霊は毎晩現れて二人を脅かしました。
 ある晩、怨霊は一団の鬼火となって雪路に飛びかかり、その顔面を覆ったかと思うと消え失せました。
 雪路の顔は鬼火に焼かれて焦げ爛れて激しく痛み、目は見えなくなり、遂には牛都と瓜二つの顔貌になり果てました。これにより彼女の心根はいっそう歪み、強八もこのため愛想が尽きてしまいましたが、大雪のため他に行くあてもなく、仕方なく彼女の家に留まり続けました。

 雪どけの季節を迎えると、強八は雪路が熟睡している間に財産を奪って逃げだしました。
 これに気付いた雪路は気違いのようになって強八を追いかけますが、かつて牛都を殺したのと同じ谷に転落して、やはり同じように肢体を損ねて死亡しました。
 「ああ、心地よきかな」
 牛都のしわがれた声がこだますると、谷底からは鬼火が陰々と燃え上がりました。牛都の怨念は強八に雪路を殺させて怨みを晴らすも、今度は雪路が怨鬼となって薄情者の強八に更なる復讐を開始したのです。
 たまらず走り出した強八ですが、怨念が大蛇と化して腹に巻きついて締め上げてきたため、叫び惑いながら助けを求めました。
 道中で行き会った高野山の仁海(じんかい)法師が唱える真言によって蛇の力は少し弱まりましたが、なお強八の身体から離れる様子はありません。仁海は強八に対して、早々に志を改め出家し、高野山に入るしか助かる道はないと言います。
 苦しさゆえにたちまち翻意した強八は、仁海法師に従って高野山へ向かいました。

 女人禁制の高野山に入ると執念の蛇はたちまち消え失せ、以後強八は道珍と名を改めて仏道修行に精を出すようになりました。
 しかし天性の悪心は滅したわけではなく、年数が経つと欲望がわき起こって山を下りたいと思うようになりました。
 ところが仁海に戒められて山から出ることは叶わず、やり場のない色欲から弟弟子の少年・粂介(くめのすけ)に懸想してしまう道珍。粂介に誘いを拒まれると、彼に対して逆恨みの念を抱くようになりました。

 実はこの粂介、かつて長谷にて仁海に拾われた虚六平・小藤夫婦が一子の成長した姿であり、育ての親である孫次六の実娘・お梅と固く言い交わした仲でした。虫の精が宿った短刀も変わらず所持しており、巡礼の身となっていた実母とも再会を果たすことができました。しかし、道珍が祖母の仇であることはまだ知る由もありません。

 一方、再び俗の楽しみを極めようとする道珍とその一味は、奸計をもって憎い粂介・お梅を誘き出して捕え、売り飛ばそうとしていました。
 悪人たちが粂介母子とお梅に襲いかかったとき、一天俄かに掻き曇り、激しい風雨に雷が轟いたかと思うと、たちまち元の晴天に戻りました。この僅かな間に雷に打たれたか、悪人たちは目口から血を流し、全身から煙を上げて倒れていました。
 天の助けを得て安堵する粂介たちでしたが、悪人のうち道珍だけは息を吹き返して「ああ苦しい」と声を上げました。
 見れば、その胸から腹にかけて大きな蛇がまとわりついています。
 蛇は粂介たちを見るや人語を発し「私は信濃国の雪路という寡婦だ」と名乗りました。雪路の化身である蛇は続けて言います。
 「この道珍の元の名は強八といって、虚六平の母を殺したのみならず、この私をも殺した者。その無念やるかたなく、取り殺してやろうと蛇になって苦しめていたが、仁海師の教化により菩提の道に入り、しかもこの御山に伴われていった。女人禁制の霊場なれば近付くこともできず虚しく過ごしていたが、粂介の色香に迷い破戒無慙の身となって山を下り、もはや神も仏にも見放された。ゆえに今こそ本懐を遂げんとこのように苦しめているのだ。そなたもこの道珍をとくと殺して仇を報いるがよい」
 粂介たちは眼前の男が仇敵であると初めて知って殺そうとしますが、尊い霊場を汚すことに躊躇を覚えて踏み切ることができません。

 そこへ全ての事情を悟った仁海法師が現れて、あらゆる因縁は刀の祟りに端を発するものであることを滔々と語りました。そして今ここに仇討ちの機会が巡ってきたことは、小藤尼が積んだ善根や粂介の孝心に感じた神仏が幸いをもたらしたためだと結論づけ、ここで因縁の刀をもって道珍の命を縮めてやるがよいと言いました。
 道珍は悪業の報い免れがたく、禁を冒したために高野山に封じられた悪龍に打たれ、雪路の霊にも再度苦しめられる報いを受けていました。これもまた仁海によれば仏神が道珍を憎むゆえのことで、もう救うべき理由もないのだといいます。 
 「今こそ討って彼が因果を果たすのだ。しからば刀の祟りも止まるであろう」
 仁海の言葉に従って粂介は道珍に斬りかかりました。
 「道珍よ、たしかに聞け。我々こそ虚六平が妻子だ。祖母の仇、母の敵、思い知るが良い」
 道珍はこれを嘲笑い、禅杖を振り上げて抵抗しますが、巻きついた蛇に締め上げられて身がすくみ、よろめいて転んだ隙に首を斬り落とされて絶命しました。
 道珍が死ぬと懐から鬼火が陰々と燃え上がり、不思議にも大蛇の姿が忽然と消え失せました。
 仇を討ち果たして粂介親子が懐旧の涙を流した頃には、すでに夜が明けようとしていました。

 粂介とお梅は皆から祝福されて夫婦となり、多くの子供をもうけて仲睦まじく暮らしました。
 領主の赤松家にも粂介の忠孝および父親がかつての家臣であったことが伝わり、さっそく召し抱えられて特別の待遇を受けることとなりました。
 粂介は父の遺言通りかの短刀を常に佩びて奉公し、無二の忠を尽くして主家に仕えたため、大いに出世して生みの母、育ての親と共に裕福に暮らしたといいます。仁海法師に対してもこれまでの恩に報いんとして、まめやかに志を尽くして交流を続けたということです。


 『高野薙髪刀』口絵には陰火と共に立つ雪路の怨霊が描かれている他、本編中の挿絵にも元来の美しい姿、祟りを受けて変貌した姿、蛇となって道珍を苛む姿の雪路がそれぞれ描かれています。



 
 怨念の連鎖で苦しめられる側から苦しめる側になる悪女のおはなしでした。怨霊になるまでの経緯はかなり自業自得なんですが、敵の敵は味方とばかりにクライマックスで主人公たちをアシストする姿は妙に痛快です。