■霊猪[れいちょ]
▽解説
京都市上京区の護王神社では狛犬の代わりに狛猪が置かれており、他にも「霊猪の手水舎」などとして神使の猪の像があります。
これは和気清麻呂が神の使いである猪の助けによって難局を脱したという伝説にちなんだもので、岡山県和気郡和気町の和気神社、北九州市小倉の足立妙見宮など、同じく和気清麻呂にゆかりのある神社や神社にも猪の像が置かれています。
『日本後紀』巻八には次のようにあります。
弓削道鏡と対立し、彼に篤い信頼を寄せる称徳天皇の怒りを買って別部穢麻呂と名を改めさせられた清麻呂は、大隅国に流されてしまいました。更に道鏡は追手を放って清麻呂暗殺を企てましたが、雷雨に阻まれてそれは未遂に終わりました。
称徳天皇が崩御して道鏡が失脚、光仁天皇が新たに即位したことで清麻呂は名誉を回復し、豊前守に任じられました。
あるとき清麻呂は足が萎えて自力で立つことができなくなりました。そんな中、豊前国宇佐郡楉田村に至り、八幡神を拝すべく輿に乗って出発すると、三百頭ほどの野猪の群れが現れて列を作り、十余里の道のりを先導して清麻呂を助け、山中へ走り去っていきました。
人々はこれを見て奇異なることと驚きました。また、清麻呂自身は神社参拝の日には再び立って歩けるようになったといいます。
この他、猪が清麻呂を助けたのは上記の出来事以前、すなわち道鏡が皇位に就けば天下太平となるとの宇佐八幡宮の神託を確かめるべく使者として発った時のこととする説、八幡宮へのお礼参りの道中で刺客に足の腱を切られて動けなくなった際とする説など、時系列等に異同があるようです。
ともかく、このような猪の伝説に基づいて和気清麻呂と猪は縁の深いものと捉えられ、明治以降に神社への猪像の奉納などがなされてきたようです。
明治から戦前に流通していた十円紙幣には和気清麻呂の肖像と護王神社が描かれており、その裏面、あるいは枠の模様に猪の姿が描かれたものが発行されたこともあり、俗に「いのしし」と呼ばれていました。
▽註
・『日本後紀』…『続日本紀』に続くものとして平安時代初期に編纂された史書。延暦11年(792)~天長10年(833)までの出来事を記す。
あけましておめでとうございます。今年も気ままにやっていきますのでどうぞよろしくお願いします。
亥年! …なので、今月はどうにかこうにか猪や豚の妖怪なぞを見つけ出して紹介していこうと思います。まずはありがたい神使の猪です。
コメント
コメント一覧 (2)
猪は妖怪というよりも山岳系の土地に伝わる神格としての伝承が多い印象がありますね
豚(中国だと十二支の亥は豚らしいですね)まで拡大すると割と良そうな気も…
記紀神話の由緒ある猪で、このエピソードでは神の使いですが
ヤマトタケルは猪をパシリ扱いして死んだんですよね…見抜けというのか(笑)
紙幣の柄になっていたりしたのは興味深いです
猪妖怪、なかなか難しかったのです
この記事の猪のように神使としての活躍だったり、天部のかみさまが騎乗する獣であったりと、近い領域にはいるけどガッツリ化けて出る妖怪猪となると、意外に見つからない……そのままでも襲われたら充分怖いですからね、猪