獅鬼

■獅鬼[ししおに]

▽解説

 佐賀県西松浦郡大川野(現・伊万里市)に伝わる妖怪です。

 長久二年(1041)頃の出来事です。
 大川野の眉山、未申(南西)の方角に巨岩があり、その下に空いた大きく深い穴の中には獅鬼、あるいは獅牛と呼ばれる体長二丈の恐るべき怪獣が棲みついていました。
 獅鬼がたびたび村里に出没しては人畜を害したため、周辺の通行は絶え、人々がこの窮状を役所へ訴え出るまでの事態となりました。
 ちょうどこの頃、かの渡辺綱の子孫である源太夫久(松浦久)が松浦郡におり、民のために獅鬼の災いを除こうと決心、息子の竈江三郎糺と共に兵を招集しました。
 棲み処に部隊を配置して号令を発し、鉦鼓を叩いて駆り立てると、獅鬼は猛烈に咆哮、狂奔して兵たちを苦しめました。
 久が率先して兵士を激励しながら獅鬼を追っていると、どこからともなく白羽の矢が飛んできて獅鬼の脳天に突き刺さりました。怪獣の苦悶の叫びが山中に響き渡ると、兵士たちが鬨の声を上げて一斉に襲いかかりました。こうして獅鬼はついに倒されました。
 
 人々は突如飛来した白羽の矢は当地に祀られた諏訪大明神の霊力によるものだろうと考え、その祠のそばに「埋牛塚」を築き、牛祭を行うようになったといいます。また、狩立、勢揃野といった地名はこの獅鬼退治に由来するものといいます。

 
 別伝では獅鬼退治の願出を受けた日在城主が兵を率い、法螺貝を吹き鉦を叩いて棲み処の洞窟に攻め寄せたとされます。
 兵たちは眉山の尾根伝いに逃げた獅鬼を厳木町瀬戸木場に追い詰めて討ち取り、切断された獅鬼の首は大川野の淀姫神社の二の鳥居のかたわらに埋められたといいます。