庚申山の化け猫

■庚申山の山猫[こうしんやま‐やまねこ]

▽解説

 曲亭馬琴作『南総里見八犬伝』に登場する妖怪です。
 下野の郷士の子・犬村大角(いぬむらだいかく)が仁義八行の霊玉を得た八人の勇士「八犬士」に加わるまでの物語に敵役として現れ活躍します。


 時は文明十二年(1480)。
 先の荒芽山での戦いの結果、追手から逃れて離散した五人の犬士。「信」の霊玉を持つ犬飼現八(いぬかいげんぱち)は、離ればなれになった四人の仲間を探し求めた末に下野国真壁郡の網苧という里に到ります。
 現八は里の茶屋にて奇妙な話を耳にしました。

 庚申山は奇岩の連なる険しい山で、足元は苔に覆われ足を滑らせやすい難所でした。のみならず、この山には木精(すだま)、あるいは虎のように獰猛な数百の齢を重ねた山猫が潜んでおり、山奥に迷い込む者があればたちまち引き裂き喰らってしまうのだと語り伝えられていました。
 十七年前、赤岩一角なる郷士が武勇を示すべく山に入り、一時は遭難、負傷するも探険を成し遂げ自力で生還を果たすという出来事がありました。
 山には毒蛇猛獣なし、と一角は断言しましたが、いずれ険阻な山であるため、その後にも登山を試みる人はなかったようです。
 帰還した一角と後妻との間には男子が生まれ、牙二郎(がじろう)と名付けられました。この頃から、一角は先妻との子である角太郎(かくたろう。後の大角)をひどく憎んで虐待するようになりました。この境遇を不憫に思われ、角太郎は母方の伯父・犬村儀清に引き取られました。文武に優れた儀清に教え導かれて、角太郎も文武両道の逞しい青年に成長し、儀清の実の娘である雛衣(ひなきぬ)を妻に迎えました。

 一角の後妻は牙二郎幼少の折に頓死し、その後に迎えた妻は半年、一年ほどのうちに次々と暇乞いし、または逐電し、あるいは死して一角のもとを去っていきました。
 ただ一昨年に武蔵国の方から流れてきた船虫(ふなむし)という女との関係だけは長続きし、今に至っています。この船虫、実は犬士とも因縁浅からぬ者で、武蔵の盗賊の妻であった頃に「悌」の珠を持つ犬田小文吾を陥れようとした悪女だったのです。
 
 このような話を聞いた後に茶店を発った現八は、やがて道に迷って夜の庚申山へと分け入っていきました。
 丑三つ時、「胎内潜(たいないくぐり)」と呼ばれている大きな門のような岩の辺りで、現八の目前に松明のような二つの灯りが迫ってきました。
 それは得体の知れない妖怪の両眼の輝きでした。
 妖怪の面構えは荒れ狂う虎のごとく、血潮よりなお赤い口は耳まで裂け、牙は真っ白にして剣を植えたかのよう。猛獣のごとき容貌ながら、身体は人に異ならず、腰に二振りの太刀を佩いて、枯木のごとき異形の馬に乗っていました。左右には、かれに従う若党らしき妖怪の姿もみえます。
 現八は携えていた矢を放ち、馬上の妖怪の左目を見事に射抜きました。妖怪たちはみな驚いてもと来た方へ逃げ帰り、周囲は再び夜の闇に包まれました。

 険しい山中をさらに進みだした現八の前に、今度は顔色の青い、痩せ枯れた三十歳あまりの男が現れました。
 彼はかつて山猫を退治せんと庚申山に登り、あえなくその猫に食い殺された男の冤魂、すなわち本当の赤岩一角の亡霊だったのです。
 一角の霊は現八に十七年前の真相を語りました。
 数百歳を経て犢牛のような体躯となり、神通自在の力を得た山猫は、山の獣類を従えるのみならず、数千歳の木精を馬とし、土地の神、山の神を従者とするほどの強大な怪物となっていました。
 一角を殺した猫は、彼の美しい後妻・窓井を犯そうと企みます。そのために一角の衣服を奪い、彼になりすまして山を降り、淫楽を貪る生活を始めました。窓井たちが死んでいったのは猫と枕を重ねて精気を吸い取られたためでした。邪智に長け欲深い船虫だけは化け猫とも性質が合致したものか、邪気にふれても平然として、かつ化け猫にもいたく気に入られているのでした。
 偽の一角と船虫は儀清亡き後の角太郎夫婦をいじめ、それでも我が親と信じ孝を尽くそうとする角太郎を苦しめていました。本物の一角が夢枕に立ち、今の一角は偽者であると告げても角太郎が信じる見込みもありません。
 赤岩一角の霊は勇敢な現八に、どうか息子の角太郎を助けてくれないかと頼みこむのでした。現八はこれを引き受け、化け猫を滅ぼすことを誓って山を下りました。


 角太郎を訪ねた現八は、彼が玉を所持する八犬士のひとりであることに気がつきました。しかし角太郎が持っていた霊玉は、いま妻の雛衣の体内にありました。腹痛に苦しむ彼女を救おうと玉を浸した霊水を飲ませようとしたとき、強欲な継母船虫の横槍が入り、慌てた雛衣が玉を飲み込んでしまったのです。
 このため雛衣の腹は妊娠したように膨らみ、船虫はこれを密夫と姦通して孕んだものと言い立てました。親への孝のため、角太郎は雛衣と離縁せざるをえない立場となってしまったのです。
 
 船虫の姦計を察した現八は、今度は偽赤岩一角を探るべく、彼と息子の牙二郎が開いている剣道場を訪れました。
 現八は一角門弟を試合で全員打ち負かしますが、これによって更なる恨みを買ってしまいます。夜更けにあわや暗殺というところで霊玉の加護により危険を察知、襲いくる牙二郎らと戦いながら角太郎の庵に辿りつきました。
 角太郎は現八を匿いますが、そこへ船虫を伴った偽赤岩一角がついに現れました。

 偽一角は角太郎夫婦を呼びつけ、現八を匿ったことは不問に付す代わり、自身の突き破られた左目を癒す薬の材料として雛衣の胎児を差し出せと迫りました。
 角太郎は苦悩した末にこう答えます。
 「それがしだけの事であれば、たとえ身を八つ裂きにされたとて惜しむべくもございません。しかし雛衣はわが養家の嫡女にして殊に義理ある妻。また懐胎の事実も定かでなく、もし血塊の類であれば、その功もなく犬死にとなるでしょう。どうかそのことはお許しください」
 しかし、偽の一角はこれを聞き入れません。親子の義理を持ち出し、隻眼となり生き恥を晒すなら今ここで切腹するとまで言い張って、なおも雛衣の腹を暴くよう強要します。
 「親を死なせても御身は何とも思わぬか」
 と、船虫も角太郎を煽ります。困り果てた角太郎はもはや沈黙するしかなくなっていました。
 
 船虫や牙二郎が自害を催促するなか、夫の心を汲んだ雛衣は、とうとう覚悟を決めて短刀を己が腹に突き立てました。
 鮮血がほとばしり、「礼」の玉が雛衣の体から飛び出しました。
 霊玉はそのまま鉄砲の弾のごとく飛んで、雛衣の向かいに座していた偽一角の胸骨を打ち砕きました。これぞ天の冥罰、「あっ」と叫び終らぬうちに倒れ、偽一角は動かなくなりました。
 父を討たれた怒りに燃えて角太郎に斬りかかる牙二郎を、現八の投げた手裏剣が仕留めました。逃げようとした船虫も捕えられましたが、いまだ真相を知らぬ角太郎は弟と継母を害されたと怒り、現八に刃を向けました。
 対する現八は庚申山で山猫に殺された本物の赤岩一角の髑髏を突きつけ、あらためて真相を語りました。

 全てを知って愕然とする角太郎。ようやく夢が覚めた心地がして、かつ大いに驚き恥じ入りつつ、雛衣の最期を看取りました。
 直後、牙二郎が息を吹き返し、またも刀を抜いて現八らに襲いかかりました。今度は角太郎がこれを斬り結び、いまこそ冥罰の刃を受けよとその首を刎ねて殺しました。
 牙二郎の骸が偽一角に折り重なるように斃れると、次は偽一角が蘇生して唸り声を発し、庵全体を震わせたかと思うと、山猫の正体をあらわにして身を起こしました。目は鏡のごとく輝き、髭は雪を貫く芒(すすき)のよう。大山猫は爪を立て、牙を鳴らして角太郎を睨みつけました。
 しかし角太郎はもう少しも騒がず、先ほど牙二郎を斬った刀を構えます。
 「二人とも引き裂いて、血を吸い肉を食らわずば、我が通力もその甲斐なし。覚悟をせよ」
 山猫が人語で恨み言を述べると、二人の犬士はうち笑い、最後の決戦に臨みました。

 猛り狂う山猫でしたが、次第に角太郎に追い詰められていきました。やがて腰骨を切り離されて倒れ込んだところで喉笛を刺し貫かれ、遂に息絶えました。角太郎は父の仇を討ち果たしたのです。


 正体を現した偽一角と牙二郎の死骸は、事情を聞いた村人たちによって焼き払われて灰燼に帰しました。
 ところがこれより後、この場所では怪事が続き、人々が病死したため、灰を集めて埋め直し、猫塚を建ててその霊を弔いました。これによって祟りも鎮まり、十里四方の田畑には鼠がよりつかなくなったといいます。
 なお、船虫は助命されたものの再び逃走し、後にまたしても犬士と敵対することになります。


 作中では馬琴の言として山猫に関する諸説が紹介されています。また現八の台詞においては山猫は「一種の妖獣」で、家の猫とは異なるものだとされています。
 この山猫退治の場面は錦絵の題材にもなっており、たとえば歌川国芳による『曲亭翁精著八犬士随一』では、犬村大角が巨大な三毛猫の喉元に刀を突き立てる様子が描かれています。


▽註

・『南総里見八犬伝』…曲亭馬琴による読本。全9輯106冊、文化11年(1814)から天保13年(1842)にかけて刊行された。伏姫と犬の八房の因縁が元で齎された仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌  の仁義八行の玉をもつ八犬士らが安房里見家を再興する伝奇小説。

 

 八犬士初登場エピソードの中でもっとも妖怪度が高いので妖怪好きには印象深いかも?な山猫の話です。偽一角一味の憎らしいこと!
 山の異類を牛耳る実力に恐るべき生命力と死後の祟り…というスケールの大きい悪党なので、つい解説にも力が入って長々やってしまうのでした~