■将棋倒し[しょうぎだお‐]
▽解説
『曽呂利物語』に収められた怪談の一編に「将棊倒しの事」という題の話があります。
関東のある侍が主の命に背き、東岸寺なる寺で腹を切って果てました。
寺では翌日に葬儀を行おうと準備が進められていました。棺に納められた侍の遺体はひとまず客殿に置かれ、十人ほどの僧が夜の番にあたりました。
しかし夜が更けてゆくにつれ彼らはみな壁によりかかり、次々と眠りに落ちていきました。いつしか客殿の僧のうち起きているのは二人だけとなっていました。
その二人が雑談などをして朝を待っていると、突然棺が震動し、死んだはずの侍が棺を突き破って立ち上がりました。
死人は灯火のもとへ向かうと、紙燭(油をしみこませたこよりで作る即席の灯火)を作って火を点け、土器(かわらけ)に残っていた油を舐め取りました。さらに寝ている僧に近寄ったかと思うと、その鼻に先程の紙燭を差し込み、抜いては舐(ねぶ)るという行為を、上座の者から順に繰り返しました。
起きていた二人は息を潜めてじっとしていましたが、次第に死人が近づいてくる恐怖に耐えかねて庫裏(僧の居所あるいは台所)へと逃げ込みました。
二人から事情を聞いた庫裏の僧たちは急ぎ客殿に向かいました。しかしそこには幽霊のようなものの姿もなければ、棺に別段の異変もありませんでした。
ただ、かの死人に紙燭を差し込まれた僧たちは全員、将棋倒しのごとく折り重なって死んでいました。あれこれと手当てをしてみても、ついに誰も息を吹き返すことはなかったといいます。
挿絵には破れた腹部から多量の血を流しながら僧の鼻に紙燭を差す侍と、既に生気を抜かれたのか、周囲に倒れ伏す他の僧たちの姿が描かれています。
▽註
・『曽呂利物語』…仮名草子、怪談集。寛文3年(1663)刊。作者不詳。書名は豊臣秀吉に仕えた話の名手・曽呂利新左衛門に由来する。
主命に背いた武士というだけで生前の素性もはっきりしないし、なぜ死体が動き出したのか、僧侶を殺した後どこへ行ったのか、何もかもわからなくてとてもこわい。東岸寺というお寺もどこのことだかよくわからないようです。
固有名詞らしい名前もついていなかったのですが、この不気味な侍の謎を共有してほしかったので章題を借りて「将棋倒し」の怪として紹介してみた次第です。
コメント
コメント一覧 (2)
鼻にこよりをつっこんでから抜いて舐めるという変態チックな、
それでいて熟練の暗殺技めいた殺害方法が不気味です
イラストはカラーならではの描写ですね
魂を抜かれている最中の僧の肌色が死人のそれに変わっていく瞬間を
切り取った感じが見てとれます
これや舌を抜く女の化物が出る怪談もですが、眼前で眠ってる知り合いたちが無抵抗に死んでいくのを見てる側は本当に恐いだろうなって思いますね。おっさんが坊さんの鼻にこより入れてるシーンでさえ生死に直結してて恐い。
今回の着色のこだわりポイントはまさに僧の顔色でした!
こよりが抜かれていくのと同時にすーーっ…と血の気が引いて、最後は鼻っ面まで蒼白になるようなシーンを想像してました