おこぜの姫

■おこぜの姫[‐ひめ]

▽解説

 室町時代末期から近世初期に成立したとされるお伽草紙『をこぜ』の登場人物です。


 ある日、うららかな春の情緒に誘われて、山の神が浜辺へと浮かれ出てきました。
 その時、海の波間に「おこぜの姫」が姿を現しました。骨張っていて、目は大きく、口は広く、しかしながら類なき優美さを持ち合わせた容貌の姫は、十二単を纏い、数多の魚たちを伴って春遊びの様子。姫が琴を爪弾きながら「引く網の 目毎にもろき わが涙 かからざりせば かからじと 後はくやしき 漁師船かも」と、調子外れに歌う声を聞いて、山の神はたちまち恋に落ちてしまいます。
 泳ぎを知らない山の神は、姫に近付くこともできないために、浜に這いつくばって手招きをしてみました。すると姫は「あな心憂や」と恥ずかしがって、水底へこそこそと隠れてしまいました。

 しかし山の神はおこぜの姫を忘れることができません。どうかもう一度その姿を見たいと恋い焦がれ、明け暮れ浜辺で姫を探し求めるも再会は叶わず、遂には木の実も喉を通らなくなりました。
 山の者たちは海に入れず、また海の者たちも山を訪れることがないために、姫に文を送る手立てさえありません。山の神が溜息をついて思案していると、泳ぎを心得た獣の川獺(かわうそ)が折よく山を訪ねてきました。
 「おこぜは極めて器量の悪いものです。目はいやに大きく、骨は高く、口広く、色は赤いときている。山の神ともあろうお方がこのようなものをお見初めになるとは、外聞も悪く、ばかげています」
 おこぜを貶す川獺に、山の神はこう反論しました。
 「いや。目が大きいのは美女の相だ。骨高きもまた貴人の相。口が広いのは智恵がある証拠だ。いずれをとっても難点ではなく、このような姫君なれば誰が見ても心迷わぬことはないだろう」
 まさに世の習いにいう「兎口(いぐち)も笑窪」で、山の神が姫に一途に惚れこんでいると悟った川獺は、文を届ける役を買って出ました。
 硯も筆も持たない山の神は木の皮をはがし、そこに思いの丈を書きつけて川獺に託しました。
 手紙の最後には「かながしら めばるの泳ぐ 波の上 見るにつけても をこぜ恋しき」と歌を添えました。

 海底に到った川獺はおこぜの姫に対面すると、これまでの経緯を語って手紙を渡しました。
 姫は思いもよらないことに赤い顔をさらに赤くして、手紙を受け取ろうともしません。そこで川獺は言葉を尽くして姫の心を解きほぐし、どうにか文の返事を書く気にさせるのでした。
 「思ひあらば 玉藻の陰に 寝もしなむ ひしきものには 波をしつつも」
 と詠じて姫は川獺に手紙を託しました。

 姫からの手紙を受け取った山の神は嬉し泣きに泣いて涙を流しました。
 「私が青柳の糸とすれば、あなた様はまるでそれを揺らす春風のようです」と書かれているのを見て、これは私に靡いているのだと大喜びし、さっそく「今宵おこぜの君の御許へ参るべし」と川獺を御供にして浜の方へ向かいました。

 この成り行きを知って怒ったのが、海に住む「蛸の入道」でした。
 蛸の入道はかねてよりおこぜの姫にたびたび文を送っていたものの悉く無視されており、それゆえ深い嫉妬心を抱いていました。そこで山の神と結ばれる前におこぜの姫を殺してしまおうと企みます。
 蛸の入道は眷属である烏賊(いか)の入道を呼びつけ、その他の一族郎党のあらゆる蛸、烏賊たちをも結集させ、大挙して姫のもとへ押し寄せようとしていました。これを伝え聞いたおこぜの姫は、このまま討たれるよりは山奥に隠れるのが良いと考え、「あかめばる」と「かながしら」を伴って波間に上がり、そのまま山の中へと分け入っていきました。
 浜辺近くの細道にて、海を目指す山の神、川獺と、山奥を目指すおこぜ、あかめばる、かながしらがちょうど行き会いました。
 山の神は喜びのあまり「山の奥は海の上、川獺はおこぜじゃ」などと埒もないことを口走りながら、姫を棲み家へと連れて帰りました。
 こうしてふたりは首尾よく結ばれて、仲睦まじく比翼連理の語らいをなしたといいます。
 
 このようなことがあったため、人が何かを見て喜ぶさまを「山の神におこぜを見せたようだ」と喩えるようになったと伝えられています。


 山の神がおこぜを好むという俗信は広く知られたもので、山の神への供物としておこぜを奉げる例も各地でみられます。『をこぜ』もこのような伝承に基づいて、王朝物語のパロディ的に作られた話であると思われます。
 また、物語の中で川獺の口から語られるとおり、おこぜ(虎魚)は醜い外見をもつ魚として知られていました。山の神がおこぜを好むのは、醜い容貌の己よりさらに醜い魚であるからだともいわれています。