落斯馬

■落斯馬[らしま]

▽解説

 イエズス会宣教師で清の康熙帝にも仕えたフェルディナント・フェルビースト(漢名・南懐仁。1623~1688)が著したとされる漢訳世界地誌『坤輿外紀』には、海獣の一種として「落斯馬」なるものが挙げられています。
 曰く、その体長は四丈ほど、尾は短く、普段は海底にいて稀に水上に出てくることがあるといいます。
 皮膚はとても堅いため刺し貫くことはできず、額には鉤状の角があります。磯に上がって眠ることがあり、その際には岸辺の岩に角をかけ、終日目を覚ますことがありません。

 博物学者の南方熊楠は『正字通』にみえる落斯馬を「ロスマ」と読んで西洋由来の言葉と解し、ノルウェー語ロス(馬) マー(海の)が語源であり、その正体は海馬(セイウチなどの海獣)であるとして、落斯馬をウニコウル(イッカク)と推測したオランダ・ライデン大学の東洋学者シュレーゲルと論争を繰り広げたといいます。

 大陸の書物を通じて江戸時代の日本にも「落斯馬」の名は伝わっていたらしく、たとえば『華夷通商考』には外夷の異魚海獣の類のなかに「落斯馬(ラシマ)」の名が挙げられており、その説明は上述のものと同様です。
 これを参照したと思しき『長崎聞見録』では落斯馬が図入りで紹介されています。ここでは記述のとおり頭部に二本の角をもち、下半身は魚のような尾鰭のある姿で描かれています。

 尾張藩の学者・秦鼎は『一宵話』にて「シカツイタシベ」という蝦夷の海獣の角を手に入れたと記しており、これは『長崎聞見録』に載る和蘭の海物の図にある「落斯馬」に少しの違いもない、と論じています。
 ここでは落斯馬を「ラシメ」と読み、タシベとラシメの音の類似が指摘されています。
 シカツイタシベの角は血症に効能があると蝦夷人は語り、この角を見た蘭人は「効能のことは知らないが、この角は落斯馬に相違ない」と語ったといいます。


▽註

・『正字通』…中国清代の字典。明末の張自烈の著を廖文英が刊行した。部首別に33671字を収録。
・『華夷通商考』…長崎通詞で天文学者の西川如見の著作。オランダ人との接触により得られた海外の知識をもとに記された地誌。元禄8年(1695)初版、宝永5年(1708)に増補版が刊行された。
・『長崎聞見録』…京の蘭方医・広川獬の随筆。長崎へ赴いた際の見聞等を書き記す。寛政12年(1800)刊。
・『一宵話』…秦鼎著、牧墨僊編、画。全三巻。三巻の跋には文化庚午=7年(1810)とある。


▽関連

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