トロンベイタ

■トロンベイタ

▽解説

 福岡藩第十代藩主で蘭学に傾倒していたことで知られる黒田斉清(1795~1851)が、長崎出島のオランダ商館を訪問した際シーボルトと交わした問答を記録した『下問雑載』には、斉清がいわゆる「河童」について質問したことが書き留められています。

 「わが国の言葉で水虎、またの名をカワタロ(川太郎)、カワコゾ(川小僧)というものがある。夏の日に水中にあって人を害するもので、その姿を見かけることは稀なる怪獣である。その種類はいくつかあるといわれている。これらはよく人を惑わす、頗る怪異なものだ」
 そう言って、斉清はシーボルトに三種類の河童の図を見せると、そのうち一図について「これは西洋より乾物にして輸入されてくる" トロンベイタ " ではないのか。トロンベイタとはいかなるものか」と問いました。
 これに対してシーボルトは、私はいまだ「トロンベイタ」なるものを知らないと断ったうえで、三図についてこう感想を述べます。
 「三図を拝覧いたしましたところ、第二の図は間違いなく猿の類であると思われます。第一の図、背に甲羅を負ったものは、ソークジイール(原注「吸乳獣」)ではありません。もしこの獣が実在するならば、亀のようなテウエイスラクチク(「水陸ともに棲居するもの」)でしょう」
 シーボルトは河童の実在には懐疑的な姿勢を崩さず、「閣下がその乾物をお持ちであれば、臥して一覧を賜ることを請います。私は力を尽くしてそれを調べ、それが何者かを世に公にすれば、我が名誉もこれに過ぎるものはありません」と語ります。
 しかし斉清はあくまで河童を実在する獣と捉え、次のように返答しています。
 「水虎の三図は薩摩の老公(島津重豪)がそれを得て写生したもので、疑うべくもない。本朝の貝原益軒による『大和本草』にも、六を蔵すること(四足と頭、尾を甲の内に隠すこと)亀に異なるなしと記されている。この甲羅があるものについてならば、乾物は中津の家臣・神谷源内が老公より賜っている。これを借りて示したいものだが、源内は遠く離れた江戸にいるため、オランダ船が出航するまでに取り寄せるのは困難である。嘆かわしいことだ。そして、我が藩の人々の間にも水虎を目撃したものは多い。やはりその有無を論ずるものではないのだ」


 「トロンベイタ」について、『下問雑載』には「華夷通商考に見ゆ」と注記されています。
 これは西川如見『増補華夷通商考』を指しているらしく、同書にて列記されている阿蘭陀の土産のなかに「トロンベイタ」の項があり、「河太郎の事也。其骨薬に用」と書かれています。
 これ以前の書物にも同様の記述を見ることができるようですが、本来「トロンベイタ」がいかなるものを意味する言葉であったのかは、まだはっきりと分かっていません。


▽註

・『下問雑載』…文政11年(1828)、福岡藩士で蘭学者の安倍龍平の編。黒田斉清とシーボルトの三十五の問答を記録したもの。話題は地理、人種、生物など多岐にわたる。
・『華夷通商考』…長崎通詞で天文学者の西川如見の著作。オランダ人との接触により得られた海外の知識をもとに記された地誌。元禄8年(1695)初版、宝永5年(1708)に増補版が刊行された。
・『大和本草』…貝原益軒著。宝永6年(1709)刊。明の『本草綱目』を参考としつつ益軒の実地調査の成果も加えられたもので、日本初の本格的な本草書とされる。

▽関連

河童
水虎


 
 河童についてシーボルトと議論するお殿様おもしろすぎる…。どうにか持論を認めさせたい意地が見え隠れしているように思います。
 河童ほか日本の妖怪に対して西洋から入ってきた知識との比較、すり合わせが試みられた時代のことについては廣田龍平さんの「カッパはポセイドンである」がとても参考になります。トロンベイタは奴かもしれない……。