金長狸

■金長狸[きんちょうだぬき]

▽解説

 講談や映画で人気を博した「阿波狸合戦」に登場する狸で、徳島県小松島市に伝わるものです。


 天保(1830~1844)の頃。
 小松島の日開野に大和屋という染物屋がありました。
 ある時、主である茂右衛門の屋敷の土蔵脇に狸が巣穴を作りました。
 奉公人たちが狸を捕えるか打ち殺すかなどと騒ぐのを制して、茂右衛門は言いました。
 「狸というものはよく恩義を知っている。大事に養ってやれば必ず一家を繁盛させてくれる」
 温厚な茂右衛門は巣穴の狸の命を救い、その後は妻に言いつけて毎日穴の前に握り飯などを置いてやりました。
 すると不思議なことに、その月から前にも増して大和屋は忙しくなり、たいへん繁盛して収益も大いに上がりました。
 そこで穴の前にご馳走をおいてみると、やはり次の日には綺麗になくなっていました。狸が居ついて店を繁盛させてくれたのに違いないと家人一同大喜びしたといいます。

 ある日、大和屋の職人のひとりである万吉の様子が俄かにおかしくなったかと思うと、茂右衛門の前へ出てこう言いました。
 「私はお屋敷にお世話になっております狸にございます」
 それは万吉にとり憑いた「金長」なる狸が、万吉の口を借りて発した言葉でした。
 金長狸は二百六歳になる付近一帯の狸の頭目で、多くの眷属を従えて鎮守の森を棲み処としていました。ところがこの年洪水に見舞われて住居を失い、大和屋の土蔵の横手へ避難していたのです。
 金長狸はこれまで迷惑をかけたことを詫び、自分たちを助けてくれた茂右衛門に深い感謝の意を示しました。
 茂右衛門の援助を受けて眷属たちも安全な生活ができ、その恩義により陰ながら商売繁盛と家の守護に努めてきたのだといいます。
 茂右衛門はこれを聞いて驚きつつも喜びを感じ、それならいつまでも屋敷に留まってもらいたいと狸に言いました。
 
 これ以来、狸と茂右衛門は万吉を介して意思疎通するようになりました。
 さらに茂右衛門は祠を建てて金長大明神として狸を祀り、狸が憑いた万吉にも特別な待遇を与えました。
 このことはたちまち世間の噂になり、大勢の見物客が押しかけたといいます。金長狸は病気診断や易にも長けており、客の求めに応じてこれらを語ったため、ますます評判は高まりました。

 「実は今日はお暇乞いに参ったのです」
 騒ぎが下火になった頃のある日、万吉に乗り移った狸はそう切り出しました。
 聞けば、金長狸はこの辺りの狸の頭領ではあっても、まだ狸としての位を授けられていないため、四国狸の総大将といわれる津田浦の六右衛門狸に弟子入りをしたいのだと言います。
 茂右衛門が了承すると、金長は仲間に大和屋の守護を託して万吉から離れ、六右衛門のもとへ修行に出ていきました。

 それから一ヶ年を経て、再び万吉の身に金長狸が乗り移りました。
 帰還を喜ぶ人々を前にして、金長は「今度は永のお暇を頂きにまいったのでございます」と告げました。
 一年前、六右衛門狸に入門した金長は目覚ましい修行の成果を挙げて、いずれ正一位の位を授けられる運びとなりました。
 六右衛門は優秀な金長を娘「鹿の子姫」の婿にして、己の地位をより盤石なものにしようと考えるようになりました。それはつまり金長を日開野に帰すのを惜しみ、また恐れているということでもありました。
 反面、金長は大和屋への義理もあって日開野に帰ることを望んでおり、また六右衛門の猜疑心や残虐性を知ってからはそれを嫌い、婿入りをきっぱりと拒否していました。
 六右衛門は金長が謀反を企てていると断じて、手下を集めて夜襲をかけました。金長は辛うじて敵を撃退したものの、この戦いで日開野から連れてきた忠臣「藤ノ木寺の鷹」は命を落としてしまいました。
 怒りに燃える金長狸は大和屋を訪れ、主人に今生の別れを告げるやすぐに立ち去って、来たるべき合戦に備えました。六右衛門の軍勢は強大でしたが、徳望ある金長狸方にも近辺の有力狸たちが名を連ねていました。

 やがて決戦の時が訪れました。
 勝浦川を挟み、日開野側に金長勢、津田側に六右衛門勢。四国中の狸が集結し、前代未聞の一大合戦が繰り広げられました。
 金長は六右衛門が潜む穴観音へ踏み込むと、その喉を食い切って遂に彼を殺しました。合戦は金長方の勝利に終わったのです。
 しかし金長も激闘のなかで深手を負っており、鎮守の森へ引き上げたところで息絶えました。
 
 日暮れに合戦が始まるとの噂を聞いて集まっていた人間たちは、暗がりに何かがひしめき合うような音を聞き、翌朝には無数の狸の足跡が残されているのを目撃したといいます。

 また、茂右衛門は金長が位を授かる前に死んでしまったのを哀れんで、後に京都の吉田家に頼んで正一位を授けてもらったといいます。
 明治の頃までは大和屋の裏庭に金長を祀る祠があったといわれています。


 昭和14年(1939)、映画『阿波狸合戦』の成功で制作の新興キネマが倒産の危機を脱したため、小松島市の日峰神社の境内社として金長神社本宮が建立されました。そして昭和31年(1956)に勧請されたものが現在「金長神社」と呼ばれている神社で、商売繁盛や開運の神として親しまれています。

 


 金長神社が存続の危機、という話題を目にしたので描いてみました。
 義侠心に富んだ熱い狸さんです。