鍋島の化け猫

■鍋島の化け猫[なべしま‐ば‐ねこ]

▽解説

 実録本、芝居や講談の演目として江戸時代後期から明治頃に広く知られた怪猫譚のひとつで、肥前国佐賀藩の御家騒動にまつわる風聞を脚色して作られた物語です。
 俗に岡崎、有馬の猫と共に三大化け猫のひとつに数えられ、明治末、大正から昭和期にかけて鍋島猫騒動を題材とした映画は十作以上制作されています。


 佐賀の二代藩主・鍋島光茂は、主筋である龍造寺家の盲目の当主・又七郎(又一郎とも)との囲碁の対局中、勝てぬ怒りからその場で彼を斬殺し、側近である小森半左衛門の働きで事件は揉み消されます。
 我が子の失踪が光茂らの仕業と知った又七郎の母・お政の方は悲嘆に暮れ、その胸中を亡夫より与えられた飼い猫・こま(たま)に吐露し、後の復讐を託して小刀で自害を遂げました。
 お政の胸から流れ出た血潮を舐め取り、こまはどこかへと姿を消しました。
 
 これ以来、光茂たちを様々な怪異が襲うようになりました。
 まず鍋島上屋敷での夜桜見物の席に化け猫が現れて侍女らを殺害したのち光茂を襲撃、半左衛門の槍によって撃退されるという惨劇が起こります。
 復讐に失敗した化け猫は恨み重なる半左衛門を討つべく、母や妻を殺してなり代わり、彼の命を狙いました。しかし正体を見破られるや黒雲に乗ってまたも姿を消してしまいます。

 その後、光茂は毎晩のように怪しい幻覚に悩まされて半狂乱となり、やがて病の床に臥せるようになりました。
 光茂の愛妾・お豊の方が看病にあたるとき、光茂は特に酷く幻覚に悩まされました。
 さらに、お豊の方は夜ひそかに池の鯉を手掴みで食らう、行灯の油を舐めるなどの奇妙な行動をとるようになっており、それに気付いた半左衛門が後をつけると、障子に映る彼女の影が恐ろしげな猫と化している場に遭遇します。かの化け猫が佐賀城内に入り込んでお豊の方を食い殺して姿を借り、梅の御殿を根城に光茂を苦しめていたのです。化け猫は眷属の猫を腰元に化けさせ、城下の小児を攫って餌食としていたともいいます。
 半左衛門や化け猫打倒を誓う伊東惣太らは御殿に踏み入ると、正体を現した猫たちを相手に立ち回ります。眷属を悉く討ち取られた化け猫は宝満山中の岩屋に逃げ込みますが、追ってきた小森・伊東らによって遂に退治されるのでした。
 猫の死骸は山頂に埋葬され、以後は神として祀られたといいます。


 以上が講談などで語られる化け猫譚のあらすじで、やはり作品、演者により展開の順序や登場人物、祟りの発端や内容に違いがみられます。
 鍋島の御家騒動に化け猫の物語を組み込んだものを歌舞伎化したのは、嘉永六年(1853)三世瀬川如皐作の『花嵯峨猫魔稗史』が最初とされます。これは上演前から世間の注目を集めていましたが、とある大名家が町奉行を通じて抗議した、すなわち鍋島家からの圧力がかかったために上演中止(後年、改題して上演)となり、却って噂の真実味を高めたといわれています。
 

▽関連

岡崎の化け猫
有馬の化け猫