甚六

■甚六[じんろく]

▽解説

 『善悪報ばなし』にある「死したるもの犬に生るる事」は、人間から犬に転生した男の話です。


 かつて江州守山の近郷には甚六という男がいました。
 彼は生涯を通して慳貪愚痴(貪欲で無慈悲にして道理を知らないこと)であり、家内の者に対してもいつもつらくあたっていましたが、あるとき俄かに患いつき、しばらく経って死んでしまいました。

 甚六が死んだ翌年、彼の家にどこからともなくやって来た一匹の犬が棲みつきました。
 ある時、この犬が盗み食いをしているのを見つけた同家の嫁は、杖を手にしてこれを叩きました。
 すると、犬が人のような声を発して「私はお前の舅だぞ」と言ったかと思うと、続けてこのように語りました。
 「私はこの世に生きていた時、人に物を与えるのを惜しみ、家人にも情けをかけず、もとより乞食や非人に一鉢の米を恵む志も持たず、慳貪邪心にして、先祖を弔いもせず、ただ惜しい、欲しいと思うことに明け暮れて、何も他人に施すことがなかった。このような有様で何をもって善根としようというのか。されば、この愚痴の報いによって、今こうして畜生の身を受けたのだ。私を打ち据えないでくれ。このように打たれて恥をかくのなら、もうこの家から出ていくぞ」
 嫁はこれを聞いて大いに驚き、既に走り出していた犬を抱き留めました。

 軒下に部屋を作ってやると、犬は喜んでそこへ入り込み、家を去る気配はなくなりました。
 嫁は親に食事を用意するのと同じ思いで、毎日この犬の世話を続けました。
 すっかり部屋に居ついた犬は外へ出ることもなくなり、人間が我が家に暮らすがごとく振る舞っていました。ところが二年ほど経つと、犬はどこかへ失せたきり行方がわからなくなってしまったといいます。

 主人が下人に情を抱かないのは愚痴より起こることで、愚痴とは畜生の心であり、このような心のため犬に生まれ変わるのも当然である。慎むべし、恥ずべし、と『善悪報ばなし』の作者は結んでいます。


▽註

・『善悪報ばなし』…仮名草子。作者不詳、元禄年間(1688~1704)の刊。諸国で聞書きしたという因果話を集めたもの。