教え舌

■教え舌[おし‐じた]

▽解説

 『撰集抄』には「死人頭誦法華」と題して、以下のような話が語り手の聞いたこととして記されています。

 陸奥国平泉郡に坂芝山という山がありました。
 この山の川端に高さ一丈余の石塔が建っており、それには次のようないわれがあるとされています。
 かつてこの里に猛き武将があり、その娘は法華経を読みたいとの望みを抱きながら、これを教える者がいないために朝夕嘆きつつ過ごしていました。
 するとある時から、館の天井より何者かが語りかけてくるようになりました。
 「経典を手に入れて面前に置きなさい。私がここで教えてやろう」
 怪しいことと思いながらも、娘は経を手に入れ、天井の声に導かれてそれを読み進めていきました。そして、八日ほどで法華経をすっかり習い終えてしまいました。
 娘はいよいよ不思議なことだと思い、天井裏の様子を探りました。
 そこにあったのは苔生した古い髑髏でした。舌だけが生前のままに残っており、これが娘に経を教えていたものとみえます。
 髑髏は驚く娘に再び語りかけました。
 「私は古の延暦寺の住職・慈恵大師の頭である。そなたの志に感じ入り、ここへ来て教えを授けていたのだ。これから急いで私を坂芝山へ送りなさい」
 娘は感涙して髑髏を山に納め、件の石塔を建てて供養したといいます。その後、娘は尼となって山中に庵を結び、二十余年後に往生を遂げました。
 山中では後の世まで尊い読経の声が聞こえたといいます。

 慈恵大師とは元三大師の名でも知られる平安時代の天台僧・良源(912~985)のことで、比叡山中興の祖と賞されるほか、「角大師」として魔除けの護符に姿が描かれるなど、様々な伝説に彩られ、信仰を集めてきた人物です。

 岩手県地方の伝説を集成した『岩手の伝説』(平野直著、昭和五一年刊)では、これと同じ内容の話が西磐井郡平泉町の伝説として「坂芝山の教え舌」の題で紹介されています。


 法華経の教えを奉ずる者の舌が死後も腐らず残っていたという話は平安時代初期の『日本霊異記』に既にみられます。
 こちらは称徳天皇(在位764~770)の時代の出来事とされ、舞台は紀伊国牟婁郡熊野の村となっています。法華経を唱えることを習わしとしていた修行僧が山中で身を投げ、三年が経過し死体が骨となった後も舌だけは朽ち果てず法華経を唱え続ける霊験をあらわしたといいます。
 また金峰山の僧も修行中に「金剛般若経」と「法華経」を唱える舌が残った髑髏と巡り合い、持ち帰って共に勤行をしたと記されています。

 「教え舌」の話も、このような伝説から発展していったものであると思われます。



▽註

・『撰集抄』…鎌倉時代の仏教説話集。作者、成立年代未詳。神仏の霊験譚など百余話を収める。西行関連の説話が多く、作者は西行であると長く信じられてきたが、実際には別人の作とされる。
・『日本霊異記』…正式名『日本現報善悪霊異記』。景戒著。平安時代初期成立。全三巻。日本最古の仏教説話集。