般若

■般若[はんにゃ]

▽解説

 強い恨みや激しい嫉妬、悲しみを抱く女の霊を表現する際に用いる能面です。
 彩色により区別されることもあり、この場合は『葵上』で用いられる白般若、『道成寺』の赤般若、『安達原』の黒般若の三種に分かれるようです。
 元来「般若」といえば智慧(心理に即して物事を理解する能力)を意味する仏教の用語で、この鬼女の面が般若と呼ばれるようになった由来は諸説あります。

 よく知られているのが、室町時代の能面師である般若坊という僧がこの面を最初に作ったとする説と、『源氏物語』に登場する六条御息所の生霊が由来であるとする説です。
 作中、六条御息所は葵の上への嫉妬心から生霊として彼女にとり憑いて悩ませますが、これを除くために般若経の読誦が行われます。
 『源氏物語』「葵」の巻を元にした謡曲『葵上』では、怨霊を退散させるために僧が経文を唱えると、鬼女(六条御息所)が「あら恐ろしの般若声や」と声を発する場面があり、ここから怨霊役が用いる鬼面、延いては鬼女そのものを「般若」と呼ぶようになったといわれています。

 鳥山石燕もこの説に基づき、『今昔画図百鬼夜行』に「般若」の題で、護摩壇に恨みのこもった息を吐きかけるような鬼女の姿を描き、「般若は経の名にして苦海をわたる慈航とす。しかるにねためる女の鬼となりしを般若面といふ事は、葵の上の謡に六条のみやす所の怨霊行者の経を読誦するをききて、あらおそろしのはんにや声やといへるより転じてかくは称せしにや」と詞を添えていています。


▽註

・『源氏物語』…平安中期の物語。紫式部作。長保3年(1001)以後の起筆とされる。主人公光源氏の愛の遍歴と栄華、その子孫らの人生を中心に描く。
・『葵上』…謡曲。古作を世阿弥が改めたものとされる。光源氏の妻・葵上を苦しめる六条御息所の生霊が、これを退治しようと祈祷する横川の小聖と争うも、遂には祈り伏せられ敗れるまでを演じる。
・『今昔画図百鬼』…鳥山石燕による妖怪絵本。『画図百鬼夜行』の続編。安永8年(1779)刊。

▽関連

六条御息所