擂木手

■擂木手[すりこぎて]

▽解説

 『稲生物怪録』諸本にみえる怪異のひとつです。

 備後三次藩士である十六歳の少年・稲生平太郎(のち武太夫)は、隣家の三井権八と比熊山で肝試しの百物語を行って以後、自宅にて一ヶ月にわたり数々の怪異に遭遇することとなりました。

 武太夫の同僚である柏正甫が天明三年(1783)に著した『稲生物怪録』によれば、この擂木手の怪は七月七日に稲生家に出現したといいます。

 朝、七夕の挨拶をしようと兄や叔父らの家を回った平太郎は、人々からあまりに化物のことばかり尋ねられるので(稲生家に連日化物が現れるという噂は既に広く知られていたようです)、虚言だと疑われるのもつまらないことだと思って早々に帰宅し、後は外出せずに過ごしていました。
 用があって台所へ行こうとしたとき、その入り口を塞いでしまうほどの着物の袖が平太郎の視界に入りました。
 不思議なものだとしばし眺めていたところ、袖口からは大きな手が出てきました。大きな白い手は擂木(すりこぎ)のごとく、指は握り拳のように丸いという奇妙な形をしていました。
 観察を続けていると、大きな手の指先から、やはり同じような形をした、しかし大きさは並の人と同じほどの手が伸び出てきました。指先はこの後もさぼてんのように分かれて次々と小さな手を生やし、次第に数えきれないほどの擂木手が生じてうじゃうじゃと蠢くようになりました。
 平太郎は不気味な有様をものともせずに手を捕えようとしましたが、近寄ればその形はかき消え、遠ざかればまた数限りなく湧き出る始末で、結局は傍観するしかありません。
 やがて夜半の鐘の音が聞こえてきたので、平太郎は「やれやれ、益体もないことに骨を折ったものだ」と呆れて蚊帳の内へ入って眠ろうとしました。すると擂木手が寝床まで伸びてきて、柔らかな手でひやひやと平太郎の顔を触ります。はねのけると消えますが、放っておくとまた湧いて触りにくるので、平太郎は結局一睡もできませんでした。
 明け方に至ってようやく「たとえ顔へ触ろうともいかほどのことがあろうか。構わず寝よう」と開き直り、放置して眠りにつくと、次第に手も消え失せて遂には跡形もなくなりました。

 これより後は平太郎も心得て、大抵の怪異は構わず放っておくようになったといいます。

 

▽註

・『稲生物怪録』…寛延二年(1749)、三次藩士稲生平太郎が一ヶ月にわたり体験した様々な怪異について記した物語。柏正甫の作が知られるほか、数々の絵巻、絵本等が今に伝わる。


▽関連

本五郎左衛門




 見た目は生理的にウッとなるような気味悪さなのにやることは無邪気というかアホらしいというか。
 今回で平ちゃんのスルースキルを目覚めさせてしまったのは怪異の黒幕にとって大きな痛手となるのでした。