共命鳥

■共命鳥[ぐみょうちょう]

▽解説

 中国後秦代の西域僧・鳩摩羅什(344~413)が訳した『阿弥陀経』によれば、極楽浄土には白鵠、孔雀、鸚鵡、舎利、迦陵頻伽、共命鳥(共命之鳥)の六鳥が常にあり、和雅なる声を発して仏の教えを伝え、これを聴く者に仏法僧の三宝を念じさせるといいます。

 このうちの共命鳥は一つの身に二つの頭を有する美声の鳥で、人面禽形であるともいわれています。
 「命命鳥」「生生鳥」または梵名ジーヴァンジーヴァカを音写した「耆婆耆婆迦」などの呼び名もあります。
 
 
 『仏本行集経』や『雑法蔵経』中には以下のような共命鳥の説話があり、これは現在に至るまでたびたび法話の題材に選ばれているようです。
 
 あるとき、釈迦に弟子たちが「提婆達多は釈尊の従兄でありながら、なぜ仏を怨み害さんとするのでしょうか」と尋ねました。釈迦は「それは今に始まったことではない」と答えて、このように弟子に語りました。
 昔、雪山に一方の頭を迦婁荼(かるだ)、もう一方の頭を優波迦婁荼(うぱかるだ)という共命鳥がいました。
 共命鳥は一頭が目覚めている間はもう一頭が眠っているのが常で、あるとき迦婁荼は優波迦婁荼が眠っている間に、摩頭迦という美果(あるいは花)を食べました。
 次に目覚めた優波迦婁荼は、己の腹が満たされていることから迦婁荼が独り美果を食したことに気づいて怒り、嫉妬と憎悪を抱きました。
 そして次に毒の果実を発見したとき、優波迦婁荼は迦婁荼を害するために、それが身を滅ぼす毒であると知りながら口にしました。
 思惑通りに迦婁荼は死亡しましたが、同じ身に生きる優波迦婁荼にも毒が回り、やがて二頭ともに命を落としました。
 このときの迦婁荼が生まれ変わったのが釈迦であり、優波迦婁荼もまた提婆達多として生まれたのだといいます。かつて一身を共有していたがゆえになお悪心は増して、今の提婆達多もまた釈迦に仏法を説かれながら、却って怨みの念を強くしているのだといいます。
 

▽関連

迦陵頻伽
九色鹿