宮木野

■宮木野[みやぎの]

▽解説

 『伽婢子』巻六「遊女宮木野」の登場人物です。
 この物語は『剪灯新話』「愛卿傳」の舞台を戦国時代の日本に移して翻案したもので、清六という主人公の名は、原話の主人公である趙氏の第六子にちなんだものと思われます。
 また、上田秋成『雨月物語』の「浅茅が宿」は本話を典拠としたもので、宮木野を元にした宮木という女性が登場しています。


 永禄(1558~1570)の頃の物語です。
 宮木野は駿河国府中の旅屋にてその名を知られた遊女でした。
 見目麗しく、能筆で、和歌にも通じ、そして情け深い性格の持ち主である彼女は、風流を好む男たちの憧れの的となり、伝説に名を残す遊女である虎御前や力寿に擬えられるほどでした。

 八月十五夜、若い男たちが旅屋で月を題材として歌を詠んでいたところ、宮木野もこれに加わって歌を詠みました。
 「眺むれば それとはなしに 恋しきを  曇らばくもれ 秋の世の月」
 「幾夜われ おし明け方の 月影に  それと定めぬ 人に別るる」
 本歌取で遊女の悲しい境遇を歌い上げた宮木野の歌心に、居合わせた者たちは大層感じ入ったといいます。
 この座の中に、藤井清六(ふじいせいろく)という男がいました。
 藤井家はもと京の将軍直参の武士の血筋ながら、この地に下って地下人となり、数多の田地を耕作して富み栄えた家で、その継嗣たる清六はまだ妻もない独り者でした。父は既に世を去り、同地に暮らす家族は母ひとりだけとなっていました。
 情け深く風雅を愛する清六は宮木野に好意を抱き、旅屋の主に多額の身請け金を払って彼女を妻として迎えました。
 当初は元遊女との結婚を歓迎しなかった清六の母親も、美しい宮木野の情と献身に心を打たれ「たとえ大名高家の娘であろうと、人として優れていなければ何になろうか。この娘は他に類なき女の道を知る者だ」と褒め称え、大切に扱うようになりました。

 あるとき、京都に住む叔父が患いついて死期も近い様子となり、最期に言い残すこともあろうと、使者を駿河へと送って清六を呼び寄せました。
 清六は老母と妻を残しての遠出をためらうも、これも孝行だと宮木野に説得されて旅に出ることを決意します。とはいえ睦まじい夫婦にとってはしばしの別れもひどく悲しく思われ、宮木野は涙を浮かべて夫に歌を贈ります。
 「うたてなど しばしばかりの 旅の道  別るといえば 悲しかるらむ」
 これを聞き、清六も返歌を口ずさみます。
 「常よりは 人も別れを 慕ふかな  これや限りの 契りなるらむ」
 まるで今生の別れのような歌を交わして、清六は京へと旅立っていきました。

 都で叔父の最期を見届けた清六は、遺産をみな叔父の妻子に分け与えて故郷に帰ろうとしました。
 ところが、この頃から諸国の情勢が悪化しはじめ、毎日どこかで戦が繰り広げられるようになりました。
 各地に関所が設けられ、人々の通行は困難となり、清六も駿河に辿り着けぬまま一年を過ごしました。その間、文を送り合うことも難しく、宮木野と母の生死はわからなくなっていました。

 清六の帰りを待つ母は悲しみと恋しさに明け暮れるうち、重い病の床に臥せるようになりました。
 宮木野が昼夜の別なく看病にあたり、「どうか私を身代わりにして姑の病を癒してください」と神仏へ祈っても、老母に回復の兆しはみえません。
 それから半年ばかり経ったある日、母は枕元に宮木野を呼ぶと、これまでの感謝と息子夫婦の今後への祈りを述べて息を引き取りました。
 宮木野の悲しみは深く、弔いを済ませてからもますますやつれてゆく姿は人々の哀れを誘いました。
 
 永禄十一年、駿河守護今川氏真に対する武田信玄の軍勢が駿河に侵攻しました。
 兵士たちは民衆の家々にも押し入って乱暴狼藉をはたらき、美しい宮木野を見つければこれを犯し汚さんとして追い立てました。
 奥の間に逃げ込んだ宮木野は、そこで首を吊って自ら命を絶ちました。追ってきた男たちは貞節を貫いて死んだ宮木野を憐れみ、家の裏に生えていた柿の木の根元に埋葬しました。

 程なくして駿府は陥落し、諸国の大名も和睦して世に平穏が戻りはじめました。
 清六もようやく帰りついたものの、故郷は無残に変わり果て、既に家からも人の気配は失せていました。
 柱は傾き軒は崩れ、草ばかりが茂って荒れ放題。老母と宮木野の行方を知る人は一人としていません。
 やがて清六は再会した下男の口から二人の悲しい最期を聞かされます。

 清六の悲しみは限りないものでした。
 血の涙を流しながら柿の根元を掘り起こし、妻の屍を見れば、その肌の色は少しも衰えておらず、さながらまだ生きているかのような美しさ。
 ところがどれほど清六が悶え、恋い焦がれ、慟哭しても、宮木野は二度と目覚めませんでした。

 「君は平生、才知に長け、心の色は深かった。人に代わって善行をなし、よき道を守って生きてきた。たとえ死すとも世の常の人と同じ道は辿らないだろう。久しく便りが絶えたのは私の罪ではない。思い通りにならない浮世の仕業だ。黄泉路の底にいてもこの世のことがわかるなら、どうかもう一度私のもとへやって来てくれ」
 清六は宮木野を母と同じ墓所に改葬し、明ければ墓へ行き、暮れたならば帰宅して悲しみに沈むばかりの生活をもう二十日ほども続けていました。
 月は隠れ、星だけが輝いていたある夜、清六がひとり灯火の傍に座していると、そこへ影のように宮木野の姿が現れました。
 「あなたの想いに深く感じて、司禄神(冥府で現世の人間の罪業を記録する神)に暇乞いをして現れ出ました」
 宮木野はこれまでのことを泣く泣く語り、清六もまた涙を流しました。

 宮木野は清六に語りかけます。
 「もとより私は官家高門の娘ではありません。徒に儚い流れの身となり、人と契ろうとも心を留めず、朝に別れて名残も知らず。色を繕い花を飾って旅の人を誘う、さながら道のほとりの柳、垣の下の花のように、手折られることを望む身でした。身を彩り、言葉を巧みにして、昨日の人を送っては今日の客を迎え入れ、西より下れば西の人の妻となり、東より上れば東の人の妻となり、浮船のように寄る辺ない契りを交わして、住みつき難い恋にのみ月日を送っていたところ、あなたに出会って真の妻となり、昔の習わしを捨てて正しい道を行うことができるようになりました。思いがけずこのような禍に見舞われたのも前世の報いでしょう。しかしながら孝行の徳により、天帝地府は私を男の子にして生まれ変わらせてくださいました。鎌倉の切り通しに高座(たかくら)の某という裕福な家があります。あなたもここにいらっしゃってください。私は明日生まれます。あなたにお逢いすれば笑ってみせますから、それを証としてください」

 七日を経て清六は高座家に至り、赤子に会いたいと申し入れました。
 母の胎内に二十ヵ月留まり、生まれてから今まで昼夜泣き通しているというその子は、清六と対面するや泣きやんでにっこりと笑い、楽しげな声を漏らすまでになりました。
 
 清六はここに至るまでの経緯をありのままに明かし、以後は高座家と一族同然の交流を続けたといいます。


▽註

・『伽婢子』…浅井了意作の仮名草子。寛文6年(1666)刊。全68話。『剪灯新話』など、大陸の怪異小説の翻案が内容の大半を占める。
・『剪灯新話』…中国明代の怪異小説集。瞿佑の撰。
・『雨月物語』…上田秋成著の怪異小説集。明和5年(1768)成立、安永5年(1776)刊。