満寿守大神

■満寿守大神[ますもりおおかみ]

▽解説

 昭和期に大阪府大阪市東淀川区の中津町あたりに建立された稲荷社の由来について、次のような話が伝わっています。


 昭和八年の三月頃、裏通りのとある一家のお内儀の気が変になりました。
 続いて同家の十二、三歳の娘も異状を呈するようになり、学校で先生と喧嘩をして殴りつけたり、「お父さんの首が畳の上に落ちているから早く拾え」と母親に言って騒ぎ回りました。
 これは狸が憑いたためだと噂され、稲荷降ろしである近所の豆腐屋の親父に診せたところ、やはり狸が憑いているから宿替えをすれば治るとの助言。
 そこで天神筋六丁目に移ったところ、母子はすぐさま快癒しました。

 この一家が去ったあと、今度は右隣の内儀、続いて夫までも気が変になりました。
 診てもらうとやはり狸憑きで、かれらは東野田方面へ転宅することで治ったといいます。

 ところが祟りはまだ収まらず、今度は左隣の内儀、そして八歳くらいの男の子が狂いました。
 残された父親は稲荷降ろしを頼み、次のような狸の訴えを聞き出します。
 「中津のこの辺は家もないし俺等の良い棲家だったが、近来風呂屋やら工場やらが建って棲むところがなくなった。それで家内や子供にも別れ、ばらばらになりどこへ行ったか分からぬ。家内だけは源光寺(中津町東端)にいることが近頃になって分かったが一緒に棲むこともできぬ。また、近頃では俺自身も棲むことができぬようになってきたので非常に苦しい思いをしているから恨んでいる。それでこの近所の者を皆気狂いにして滅亡させてやる」
 そんなことをされては大変、どうしたら祟らないかと近所の人々がお伺いを立てると、「家内や子供を呼び寄せて安楽に棲む所を作ってくれたら」との御託宣。
 相談の末、寄付を募ってお稲荷さんを建てると、妻子の気狂いも治ったといいます。

 お稲荷さんの魂を入れる日に再び稲荷降ろしを行うと、狸は嬉々として来臨し、「俺は町内が寄ってこんなにしてくれたので嬉しい。今後は決して祟ったりはせぬ。否、これからはこの町内を守護してやる」と語りました。
 しかし、祠の後ろが狭くて家族を呼び難いから、是非もう少し前へ出してくれとも言います。
 人々は早速お稲荷さんの祠を三尺ほど前に出して余裕を作ってやりました。
 御鎮座は五月十二日、盛大な御鎮座祭で餅撒きなどが行われたといわれています。なお、寄付の総額は一一八件で一六六円三五銭、最も多かったのが一人あたり一円あるいは五十銭の寄付だったと記録されています。

 祠は満寿守大神が公称らしいものの、付近の人は単に稲荷大明神などとも呼んでおり、その信仰も混乱していたといいます。