山辺赤蟹

■山辺赤蟹[やまべのあかかに]

▽解説

 『大石兵六夢物語』に登場する妖怪の一種です。


 往来の人を誑かして頭髪を剃りあげてしまう薩摩・吉野の原の化け狐退治に挑んだ大石兵六は、次々に出現する化物たちの異様な姿にすっかり恐れをなし、一刻も早く鹿児島に逃げ帰って策を練り直そうとしていました。

 吉野山の関谷あたりまで来た頃、いよいよ夜も更けてきたのか、雲も嵐も静まり、谷川は却って恐ろしげな雰囲気に包まれました。
 兵六が川にかかる岩木橋を渡っていると、橋の下から毛が生えた刺股のようなものが出てきて、彼の足をしっかと掴みました。
 兵六を捕えた化物はこう言います。
 「やあやあ、おのれ、人の心も荒えびす、吉野の花に狼藉するのみか、紅葉踏み分け鳴く狐まで、情けなくも捕えんとする悪巧み。天罰の下らぬことがあろうか。そもそもここは三箇の橋といって、歌道極意の場所であるぞ。足が微塵に砕けようとも、雷の落ちるまで許すものか。かく言うそれがしを汝はなんと心得る。百人一首の六番目、山辺赤蟹だ」
 山辺赤蟹と名乗った化物は、冥途の土産に歌を一首聞けと言って、また叫びました。
 「このやつこ(奴) 行くも帰るも 捕らまへて 引くも引かぬも 足柄の関」
 これを聞いた兵六は、大伴家持が詠んだ歌をもじって「かささぎの 渡せる橋に 住む蟹の 赤きを見れば 身ぞ冷えにける」と泣き声で返しました。
 これを聞いた山辺赤蟹は「さても優雅に連ねたるものかな」といたく感嘆し、兵六の機転を褒め称えて鋏を緩めました。
 紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた通り、和歌の功徳が荒々しい鬼神の心をも和らげたのです。
 ともかく、こうして兵六は再び暗闇の中に駆け出していきました。


 山辺赤蟹という名は奈良時代の歌人で、歌聖と称される山辺赤人をもじったものですが、詠んだ歌は蝉丸による「これやこの 行くも帰るも 分かれては 知るも知らぬも 逢坂の関」が元になっています。
 また、兵六が返歌の元にしたのは「かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける」という家持の歌です。
 この他にも、『大石兵六夢物語』の兵六と赤蟹のやりとりでは、百人一首や歌人を想起させる表現が多用されています。
 

▽註

・『大石兵六夢物語』…天明4年(1784)成立。薩摩藩の武士である毛利正直の作。既存の大石兵六の狐退治の物語に風刺やパロディなどで潤色を加えた作品。写本で流布し、明治18年に活字本が出版された。




 橋の下から両手だけを突き出して兵六の足をつかんでいる挿絵がcoolです。それにしてもなかなか風流なお化けではありませんか。