三つ眼の旧猿坊

■三つ眼の旧猿坊[み‐め‐きゅうえんぼう]

▽解説

 『大石兵六夢物語』に登場する妖怪の一種です。


 薩摩の吉野の原に出没し、往来の人を誑かして坊主頭にしてしまう化け狐の退治に出向いた荒くれ者の青年・大石兵六は、次々に現れた茨木童子、重富一眼坊、そして二人の抜け首女の化物に肝を潰し、泣きながら逃げ惑っていました。

 さて、兵六が芝の元、持留山の辺りまでやってくると、木陰から三つ目の化物が現れて、長々と身の上を語りだしました。
 「遠き者は音にも聞け、近き者は目にもまた見よ。三つ眼の旧猿坊とは我がことなり。近ごろ立身して猴阿弥と名を改め、吉野御殿に召し出され、月見花見の供をして、錦の褥、玉の簾、かけまくもかたじけなくも御側近くに召し使われ、実儀、外聞この上なく存ずる。世にいう『猿千年を経て狒々となり、狒々万年を経て猴阿弥となる』というものである。頭には白銀の針を植え、目には唐金の鏡をかけ、四方八方に光る玉のようだ」
 「我はそもそも幼少の頃より本阿弥光悦の教えを受け、修行の年月身に積もり、今や刃物、器物、掛物、三つのものの目利きを覚え、茶の湯、生け花、砂の物にも優れた手腕を身につけた。しかしながら雨垂れを見て筆法を悟った顔真卿ほどの知恵はなく、無学無筆の評は免れない」
 そして、また長々と兵六の悪口を言ったかと思うと、彼の襟首を掴んで引き寄せようとします。
 兵六、またしても恐れをなして、神に許しを乞いながら逃げ出します。しかし、彼はこの先も狐が現す化物に脅かされるのでした。


 旧猿坊の口上からは、この妖怪が特定の人物を揶揄したものであることがうかがえます。
 なお、題材を同じくする『大石兵六物語』系統の絵巻物には、旧猿坊とよく似た「三目猴猿」という妖怪が登場します。

▽註

・『大石兵六夢物語』…天明4年(1784)成立。薩摩藩の武士である毛利正直の作。既存の大石兵六の狐退治の物語に風刺やパロディなどで潤色を加えた作品。写本で流布し、明治18年に活字本が出版された。

▽関連

三目猴猿