本木村の化物

■本木村の化物[もときむら‐ばけもの]

▽解説

 延宝八年(1680)頃から筑前国宗像郡本木村には化物が出没して住民を脅かしたとされ、『筑前国続風土記』にその顛末が載るほか、各種の写本、絵巻などが事件の内容を伝えています。


 延宝八年、本木の庄屋に毎夜化物が訪れ、婦人を悩ますようになりました。
 番の者をつけても、みな強烈な眠気に襲われて動けず、化物の侵入を許してしまいます。
 化物は庄屋以外にも村内の婦女を犯しては孕ませ、奇怪な嬰児を産ませて死に至らしめました。
 狐狸の仕業を疑い、良犬を集めて警備にあたるも、犬たちは怯えて化物に近づくこともできません。

 化物の退治はおろか、正体を見届けることさえできないまま年月が過ぎていきました。
 そして貞享二年(1685)、藩主より庄屋のもとに稀代の名犬二頭が送られました。この二頭が来てからは、化物も恐れをなしたか、しばらくは鳴りを潜めていました。
 ところがある夜、またしても化物が現れたので、一頭の犬が果敢に挑みかかりました。
 激しい闘いが繰り広げられるも遂に勝敗は決まらず、怪物は逃げ去り、犬は鼻先に剃刀で切られたような傷を負いました。なお、もう一頭の犬はやはり化物を恐れて近寄らなかったといいます。
 ともかく、これより後は村に化物が現れることはなくなりました。

 その後、本木村付近を狩場とする猟師が、山中で奇妙な獣を発見しました。
 猪鹿ではなく狐狸の類でもなく、猯や狢でもない、いまだかつて見たことのない獣でした。本木村に災厄をもたらした化物は、きっとこの怪獣であろうとのことでした。


 以上は『筑前国続風土記』本木村の項の記述によるものですが、一説に事件が収束したのは元禄七年(1694)のことといわれ、同十二年に床下から化物の骨が見つかったともされています。
 庄屋の権右衛門が藩に提出した報告の写しとされる文書には、この化物の頭骨の図が添えられています。
 
 九州、筑前の怪談を多く収めた『怪奇談絵詞』にも元木(本木)村の化物の絵姿があります。
 「名の知れざる怪しき獣二疋なり」として、鋭い牙を生やした二頭の黒い怪獣が描かれています。また、同図にはなぜか、手拭をかぶり尾が二股に分かれた猫の姿もあります。

 
▽註

・『筑前国続風土記』…貝原益軒による筑前国の地誌。元禄元年(1688)に編纂が始まり、同十六年に藩主へ献上された。
・『怪奇談絵詞』…幕末から明治初期の作と推定される絵巻。33の怪奇譚が収められ、九州の話や諸外国を諷刺した妖怪図が多い。