七尾の古狐

■七尾の古狐[しちび‐ふるぎつね]

▽解説

 明治29年5月の『名古屋絵入新聞』にて報じられているものです。


 長野県東筑摩郡島田村字高松近傍の農家では、ある頃から頻りに家畜の鶏が盗み去られるようになっていました。
 これは狐狸の仕業に違いないと、明治29年5月18日に村内の若者数人が集まり、それぞれ得物を手にして物陰に潜み、獣が来るのを待ち構えることとなりました。

 やがて午前二時ごろ、一匹の大狐がどこからともなく現れました。
 若者たちは力の限り追い回し、これを捕獲しました。その狐はよほど年数を経たものとみえ、大きさは通常の狐の二倍ほど、尾は七本に分かれ、全身は茶褐色、首筋の辺りに連銭型の紋がありました。
 この姿を見て、人々は「金毛九尾の狐」を思い起こしたといいます。




 尻尾が二本少ないと悪事のスケールもずいぶん違いますね。