けいじゅん

■けいじゅん

▽解説

 『曽呂利物語』の「耳切れうん市が事」に登場する尼僧の幽霊です。


 信濃国、善光寺の敷地内には比丘尼寺がありました。
 この寺には越後国出身の「うん市」という座頭が出入りしていましたが、体調を崩してから半年ほど訪問が途絶えていました。
 久しぶりに寺を訪ねたうん市は、老尼の案内で客殿に泊まることとなりました。
 彼が眠ろうとしていると、弟子比丘尼の「けいじゅん」が現れ、「私の寮へ共に参りましょう」と頻りに誘います。うん市は男女同室の禁制を気にしてためらいますが、やがてけいじゅんに引かれるまま部屋へと入ってしまいました。
 勤行の始まりを告げる鐘が鳴り、けいじゅんはうん市に外出を禁じて部屋を出ていきました。寮の戸は固く閉ざされて、うん市は逃げだすことができません。夜が明ける頃にはけいじゅんが戻り、また勤行の時間が来るとうん市を部屋に残して出ていきました。
 
 監禁が三日目に及んだ朝、けいじゅんが部屋を出たのを機に、うん市は激しく戸を叩き声を上げて助けを求めました。
 寺の人々に助け出されたうん市は、この三日のうちにすっかり痩せ細り、骨と皮ばかりの無残な容貌に変わっていました。彼が尼僧に監禁されていたことを話すと、寺の者はこう言うのでした。
 「けいじゅんは三十日ほど前に死んでいる」

 改めてけいじゅんを弔い、うん市に憑いた怨念を祓うため、寺総出で百万遍の念仏が執り行われる運びとなりました。
 各々が鐘を打ち鳴らし盛んに読経していると、どこからともなくけいじゅんが現れ、うん市の膝を枕として横たわりました。姿を現したものの、念仏の功徳によって深い眠りに落ちているのです。
 比丘尼たちはこの隙に膝枕を外し、うん市を馬に乗せて故郷へ送り出しました。
 
 道すがら、うん市は後ろから霊がついてきているように思われて身の毛がよだち、ある寺へ助けを求めて駆け込みました。
 事情を聞いた長老は有験の僧たちを呼び集め、うん市の全身に尊勝陀羅尼の文言を書きつけ、彼を仏壇に立たせました。
 やがて恐ろしげなけいじゅんが寺に辿り着きました。けいじゅんは「うん市を出せ、うん市を出せ」と大声を上げて走り回り、仏壇のうん市を見つけました。
 けいじゅんは「ああ、かわいそうに。座頭は石になってしまった」とうん市を撫で回し、耳にだけは陀羅尼が書かれていないことに気付きました。
 そして「ここにうん市の切れ端が残っていた」と言って、耳を引きちぎって帰っていきました。

 うん市は九死に一生を得て故郷に帰り、以後は「耳切れうん市」と呼ばれて越後で齢を重ねたといいます。


▽註

・『曽呂利物語』…怪談集。作者不詳。寛文3(1663)年刊。