韋慶植の娘

■韋慶植の娘[いけいしょく‐むすめ]

▽解説

 中国唐代の仏教説話集『冥報記』にある話で、『法苑珠林』や『太平広記』に引用されているほか、日本では『今昔物語集』『宇治拾遺物語』などに収録されています。

 『今昔物語集』震旦部「震旦の韋の慶植、女子の羊と成れるを殺して泣き悲しめる語」に基づいてその内容を紹介します。


 唐の貞観の頃(627~649)、韋慶植という魏王府の長史がいました。彼と妻の間には美しい娘がいましたが、十余歳にして亡くなってしまったため、夫婦はひどく嘆き悲しんでいました。
 娘の死から二年後、慶植は遠方へ赴くこととなり、その報告のために親類縁者を集めた食事の会が計画されました。そして、ある家人が宴の準備のために、市で一匹の羊を買い求めてきました。

 羊が買われてくる前夜、慶植の妻の夢には、青い衣を着て、白い衣で頭を覆い、髪に玉の釵(かんざし)をさしているという、生前と変わらぬ装いの娘が現れていました。
 母と対面した娘は泣きながらこう語ります。
 「私は生きていた頃、父母が私を愛し慈しみ、よろずのことを思うままにさせてくださるのをよいことに、勝手に財物を使ったり、他人に与えたりしていました。盗みの罪ではないと思っていましたが、親にも告げずこのようなことをした報いによって、今は羊の身を受けています。そして罪を償うために、明日にはこの家を訪れて殺されようとしています。母上、願わくば私の命をおゆるしください」
 そこで母は夢から覚め、娘の境遇を思って悲しみに沈むのでした。

 翌朝、料理の準備が進められる場で、母は買われてきた羊を見つけます。羊の体は青く、白い頭には釵のような斑模様がありました。
 母親は羊を殺さないよう言いつけますが、料理の準備が遅れていることに苛立つ慶植は、密かに羊を調理させようとします。哀れ、羊は頭に縄をくくりつけられて吊り上げられ、いよいよ殺される運びとなります。
 そんな折に慶植の家へ到着した客人たちが目にしたものは、髪に縄をつけられた美しい娘の姿でした。
 娘は「私はこの家の娘ですが、今は羊となっています。皆さま、どうか私をお助けください」と叫びます。これを聞いた客たちは「ゆめゆめこの羊を殺すことなかれ」と告げて、事情を話そうと主人のもとへ向かいました。
 ところが客がその場を離れた後、料理人は主人の怒りを恐れ、勝手に羊を殺してしまいます。羊の悲鳴は料理人には単なる鳴き声にしか聞こえませんでしたが、客人たちの耳には幼女の泣く声として届いていました。

 羊は蒸し物、焼き物となって振る舞われましたが、客たちは飲食をせずに帰ってしまいました。
 慶植が怪訝に思って事情を問うと、ある者が経緯を具に話して聞かせました。
 全てを知った慶植は咽び泣いて悲しみ、嘆き、惑い、日を経て病に罹り、出立することなく死んでしまったといいます。


▽註

・『冥報記』…中国唐代の仏教説話集。 『今昔物語集』や『日本霊異記』に影響を与えた。中国では散逸し、日本の写本がその内容を伝える。
・『法苑珠林』…中国唐代の仏教書。道世の編。各種典籍から説話、思想等を引く。
・『太平広記』…北宋時代成立の類書、説話集。李昉らの編。全500巻。
・『今昔物語集』…平安時代後期成立、作者未詳の説話集。全31巻。天竺、震旦、本朝の3部からなり、1000以上の説話を収める。
・『宇治拾遺物語』…説話物語集。作者不明。13世紀頃の成立。




 なんてエグい報いなんでしょうか。慶植不憫ですなぁ。