キリシタン竜

■キリシタン竜[-りゅう]

▽解説

 熊本県天草郡松島町樋合島に伝わるものです。


 天草諸島のうち永浦島と前島の間にある池島という小島には大穴があり、そこに二匹の大竜が住んでいました。
 この竜が世に現れ、島に住みつくきっかけとなったのは、寛永十四年(1637)に始まった島原・天草の乱であるといわれています。

 寛永十五年の二月二十七日八ツ時から翌日にかけて、鍋島勢が攻め込んだのを皮切りに諸家の軍勢が一揆勢の立て籠もる原城を攻撃し、一帯は地獄絵のごとき凄惨な様相となりました。
 天草の一揆軍は十万余の軍勢を相手に鍋釜や瓦、石ころまで持ち出して抗戦を続けてきましたが、弾丸も打ち果たし、食料も尽き、もはや勝算はなくなっていました。ゆえに一人でも多くの相手を倒し、恨みを晴らして死ぬことだけが、かれらの最後の望みとなっていました。

 天草一揆勢の総大将となった十六歳の少年・天草四郎は幻術の使い手で、島原から海上を歩いて有明の中ほどにある湯島へ渡ったり、口から炎を吹くなどの技を演じてみせたことがあるといいます。
 二十七日夜半に原城本丸が焼け落ちると、奥の家に控えていた四郎は竜玉を取り出し「ああ、神よ。我らの上に幸いを垂れ給え」と天に祈り、沖合に錨を下ろす幕府の軍船に玉を投げつけました。
 すると空がにわかにかき曇ってどす黒い雲が舞い降りてきたかと思うと、二匹の大竜が現れ、物凄い大暴風が起こりました。
 海面から二つの水柱が黒雲まで連なり、軍船は大竜巻に巻き上げられてたちまち転覆、沈没しました。
 しかしながら、同時に四郎のいた家も燃え始め、炎が赤々と天を照らしました。

 二十八日午の刻、幕府軍は遂に一揆軍を残らず打ち果たしました。
 黒雲に乗って海中に入った二匹の竜は原城陥落を見届けると、まっしぐらに東へ向かって泳ぎ出しました。この時には竜も満身創痍となっており、鮮血が海を赤く濁らせました。
 やがて池島に泳ぎ着いた竜は丘に這い上り、しばらく島のあちこちを見回していました。そして昔からある二つの大穴を見つけると、一頭ずつそれぞれの穴に入って姿を隠しました。
 それ以来、竜は穴の主となり、雄竜の入った方は雄竜穴、雌竜の入った方は雌竜穴と呼ばれるようになりました。
 天草四郎は原城で死んだことになっていますが、実はこの竜こそ四郎の化身だったともいわれています。

 竜が穴の主になって以来、天草島に旱魃があれば、人々は池島に集まって雨乞いをするようになりました。そうすると天から黒雲が降りてきて、必ず雨が降ると伝えられていました。


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