カテキ様

■カテキ様[‐さま]

▽解説

 かつて栃木県佐野市上羽田町の龍江院には「カテキ様」あるいは「カテキ尊者」などと称する尊像が祀られていました。
 頭巾をかぶった老婆の立像のようであったことから、村人にはカテキ婆ァとも呼ばれていたようです。

 ある月のない暗い夜のことです。
 川のほとりを通りかかった人が「ザザァー ザザァー」という小豆を研ぐ音を耳にしました。
 気になって河原に下りてみたところ、真っ暗闇の中で小豆を研ぐ老婆がいます。よくみれば、それは銀髪のカテキ様で、驚いた村人は一目散に逃げ帰りました。
 それからというもの、上羽田の子供たちは黄昏時になると「あずきとぎ婆が現れる」と早く帰るようになったといいます。

 他にも堀内徳蔵という者の屋敷の石橋で「小豆とぎ婆、小豆とぐ音、ムジナに化ける、徳蔵分でもチャンピロリン、馬場内でもチャンピロリン」と歌い踊っていたという話なども伝えられ、子供たちに気味悪がられていました。
 また狢に化けて毎夜村内を徘徊した末に鉄砲で撃たれてからは出歩かなくなったともいわれ、腰にある小さな穴はこの際に撃たれた跡とされていました。
  

 この像は龍江院を建立した領主・牧野成里が文禄の役の際に朝鮮半島から持ち帰ったものと伝えられ、長らく中国古代、黄帝の時代に船を発明したという「貨狄」の像とされてきました。
 大正期になるとキリスト教関連の像だと考えられるようになり、カテキは「カテキズム」「カテキスタ」といった用語に由来するのではないかとの説が唱えられました。
 やがてこれは慶長五年(1600)に豊後に漂着し、後に徳川家康に仕えることとなる三浦按針ことウィリアム・アダムズが航海士を務めていたオランダ商船・リーフデ号の船尾に飾られた像であったことが判明しました。
 像の正体はオランダの人文主義者・神学者であるエラスムス(デジデリウス・エラスムス、ロッテルダムのエラスムス。1466~1536)で、手にした書には「ERASMVS RETTERDAM 1598」と書かれています。またリーフデ号自体も建造当時にはエラスムス号と呼ばれていました。
 この船尾像が何らかの経緯で牧野家に渡って龍江院に持ち帰られ、年月を経て本当の由来が忘れ去られたものと推測されます。

 明治になって牧野家が移住した際にこの像も東京へ運ばれましたが、当主の夢に現れて「羽田に帰りたい」と訴えたといわれています。

 かつては正体不明の怪しい像だったカテキ様も、現在は重要文化財に指定されて博物館に寄託されています。
 

▽関連

小豆洗い



 船についてた像だから聖エルモな方のエラスムスさんかと思ったら違うのですね。
 それにしてもなんと数奇な運命をたどった像なのでしょう。