封

■封[ほう]

▽解説

 慶長十四年(1609)四月四日、駿府城内に現れたといわれているものです。
 『一宵話』の「異人」と題した記事はこのことを「旧記にも見ゆ」として、「或雑書の説」を紹介しています。


 神祖こと徳川家康が駿府城にいた頃のある朝、庭に、小児のごとき形をした肉人とでもいうべきものが現れて、指のない手で上をさして立っていました。
 人々はこれを見て驚き、変化のものではないかと騒ぎたてました。騒動を知った家康に伺いを立てたところ「人の見ぬ所へ追い出せ」とのことであったため、城から遠く離れた小山の方へ追いやってしまいました。

 この話を聞いたある人は「さても惜しいことをした。左右の不学のせいでこのような仙薬を家康公に差しあげることができなかった」「よしんば主君に奉らずとも、公達や群臣に食べさせられたものを」と、その時に識者が居合わせなかったことをひどく嘆いたといいます。
 かれの言によれば、肉人は『白沢図』に載る「封」というもので、これを食した者は多力となり、武勇も優れるとされているそうです。

 『一宵話』は続けて、神祖の代の人たちはあくまで自然に多力武勇であるため、薬食いなどは好まないと記しています。家康も家臣も封のことは知っていても、穢らわしいものを食ってまで力を得るのは武士の本意でない卑怯な行いとして捨てさせたのだといいます。そして封を食して力をつけることは、僥倖を得んとして淫祠を崇めるようなものだと断じています。
 また、「此怪物は切支丹なり。逐やれと仰れしといふにて、封とは形こと(異)なり。封はツトヘビ、ソウタの類ならん」との記述もみえます。


 『東武談叢』には、慶長十四年四月四日、駿府御殿の庭に、四肢に指なく、弊衣(ぼろぼろの衣服)を纏い、乱髪にして青蛙を食う者がどこからともなく来たとの記述があるようです。
 居所を問えば、手で天を指し「天より来(きた)る」と答えたといいます。家康が家臣に「殺すことなかれ」と命じたためにこの者は城外に追い放たれ、その後の行方は分からなくなりました。
 『駿国雑志』はこの記述と『一宵話』の肉人の話を引用して並べ、「怪男」という項に纏めています。
 また、文化六年から編纂が始まった『徳川実紀』にも同様の記述があり、出典として『寛永系図』『当代記』『御年譜』が挙げられています。
 駿府城の庭に不審な人物が進入した件は複数の書物に記されているようですが、『一宵話』がいう「雑書」が何であるかは明らかになっていません。

 現代では、封は化物尽くし絵巻などに描かれる妖怪「ぬっぺっぽう(ぬっぺふほふ、ぬっぺらぼう)」と関連づけて紹介される場合があります。
 これは「肉人」という語が「肉の塊」と形容されるぬっぺぽうの絵姿を想起させるから、あるいは名前の「ほう」の音が共通しているからであり、両者を結びつけて語る一次資料は確認されていません。


▽註

・『一宵話』…秦鼎による随筆。画は牧墨僊。全三巻。三巻の跋には文化庚午=7年(1810)とある。
・『白沢図』…黄帝が霊獣白沢の語った内容を写し取らせたという書。大陸の書物では実在が示され、わずかながら逸文も確認されている。
・『駿国雑志』…阿部正信著。天保14(1843)年成立。駿河国の地誌で、巻二十四に「怪異」の記述がある。
・『徳川実紀』…江戸幕府が編纂した徳川家の歴史書。幕府の日記などを元として、文化2年(1809)に編纂が始まり、嘉永9年(1849)に完成した。


▽関連


ぬっぺっぽう