夜陰の入道 

■夜陰の入道[やいん-にゅうどう]

▽解説

 『新御伽婢子』にある妖怪です。



 羽州最上の北寒河江庄谷地という所に八幡宮があり、円福寺の城林坊という僧が社の奉祀を務めていました。
 寺と社の境目には、幅五間、長さ六、七間ほどの堀があります。水面には睡蓮が浮かび、鯉や亀が群れて泳ぎ遊んでいる、古池のごとき風情のある場所です。
 雨がそぼ降り、月の明かりもささないある夜半。城林坊の同宿である秀達という僧が、些かの用事のために縁側へ出ました。そして何気なく堀の方を見たところ、対岸からこちらに向かって、黒い毛の生えた足を出している者がいます。
 はっと驚いて仰ぎ見れば、寺の軒には大きな法師の首が三つ、上と下左右で三角形を作るように並んでいました。
 三つの首は秀達を見ると蝶のように飛び落ちてきました。秀達は恐れおののき、ほうほうの体で屋内へと逃げ込みます。
 帰った後もあまりの恐ろしさに、もし他人に語ればどのような祟りがあるか知れないと、誰にもこの夜の出来事を話そうとはしませんでした。
 しかしこの夜から秀達は幻影に悩まされるようになり、それが原因でやや病みついてしまいました。


 後に、新発意(出家して間もない者)と喝食(寺小姓)が同様の怪異に遭遇しました。
 二人は夜に連れ立って歩いていた時に入道を見て、揃って気を失いました。秀達は様子を窺っていましたが、恐ろしくて助けに行くこともできません。そこで他の住僧らを呼び集めて手を借り、ようやく二人を寺の内へと運び入れました。
 様々な薬を飲ませて介抱すると喝食は息を吹き返しましたが、新発意は蘇生せず、そのまま命を落としてしまいました。
 ここで秀達はこわごわ事情を語り、人々は堀に出没する入道のことを初めて知って驚き、以後は誰も夜に縁側へ出なくなりました。
 怪異が何者の仕業であったのか、最後まで分からないままであったといいます。


▽註

・『新御伽婢子』…天和3年(1683)刊。西村市郎右衛門の作か。『伽婢子』の評判に便乗して出された怪談集。