清姫

■清姫[きよひめ]

▽解説

 和歌山県日高郡日高川町の道成寺にまつわる物語の登場人物です。

 紀州熊野の真砂の庄司の娘である清姫は、奥州白川から熊野詣に出て宿をとった美僧・安珍に惚れて盛んに言い寄ります。
 これに辟易した安珍は「帰りにまた立ち寄る」という偽りの言葉をかけて出立し、そのまま宿へは戻らずに帰ろうとしました。
 騙されたと知った清姫は大いに怒り、すぐさま安珍を追跡します。
 何度か安珍は追いつかれそうになりますが、また嘘をつき、あるいは仏神に祈ってその度ごとに清姫を遠ざけます。
 そうして安珍が日高川を渡り道成寺へ逃げ込むと、足止めを食った清姫は遂に蛇体となって川を突破し、道成寺へと至ります。
 安珍は下ろした釣鐘の中に隠れて場をやり過ごそうと考えましたが、大蛇となった清姫はその身を鐘に巻きつけて安珍を閉じ込め、火炎を吐き散らして彼を焼き殺すのでした。
 三時あまりが経って大蛇が去ったので鐘を取り除くと、中からはすっかり焼けて骨だけになった安珍の骸が現れ、人々は哀れを催しました。鐘は高熱のため溶けて湯になったと語られることもあります。
 その後、道成寺の僧の夢に蛇となった安珍と清姫が現れたため、これを懇ろに供養してやったといいます。


 道成寺説話は古くから知られ、『本朝法華験記』や『今昔物語集』「紀伊国道成寺僧写法花救蛇話」でも取り上げられています。ただしこれらには人物の固有名詞が存在せず、僧に懸想するのは寡婦となっています。
 鎌倉時代の臨済僧虎関師錬が著した『元亨釈書』においては、内容は前2書と同様ながら、僧に鞍馬寺の釈安珍という名が与えられています。
 『道成寺縁起』では延長6年(928)8月の出来事とされ、女は真砂村の庄司清次の娵となっています。異本『賢学草紙』では僧が三井寺の賢学、女が遠江橋本の長者の娘で花姫となっています。
 清姫の名が初めて登場するのは寛保2年(1742)の人形浄瑠璃『道成寺現在蛇鱗』といわれており、これを脚色した近松半二『日高川入相花王』の浄瑠璃や歌舞伎によって、山伏姿の安珍や真那子の庄司の娘清姫という設定が定着しました。
 また、安珍・清姫の物語の後日譚として作られた『京鹿子娘道成寺』には、清姫の亡霊が化した京の白拍子花子が登場します。
 『画図百鬼夜行』に始まる妖怪画集を著した鳥山石燕は、安永10年(1780)の『今昔百鬼拾遺』に大蛇の女が炎を纏って釣鐘に取りつく場面を描いていますが、その名は記さず「道成寺鐘」を題としています。