助

■助[すけ]

▽解説

 下総国岡田郡羽生村を舞台とした怪談に登場する小児の幽霊で、の異父兄にあたる人物です。


 累と同じく、『死霊解脱物語聞書』の内容に沿って登場部分を紹介します。

 寛文十二年三月、弘教寺の僧・祐天は羽生村金五郎の若妻・菊に憑いた累の死霊を、念仏を唱えさせることによって解脱させました。
 祐天はその夜、嬉しさのあまり眠りにも就けず、夜更けに羽生村を訪れて菊の様子を窺いました。
 そして、貧しく寒い村での夜具もない暮らしで菊が更に衰弱することを案じた祐天は、寺へ戻ると彼女の衣食を調えさせました。
 正月から何度も死霊に責められ、湯水程度しか喉を通らなかったにも関わらず菊がさほど痩せ衰えていないのは、極楽の飲食を得ていたからだと考えられました。

 累との約束で建てられることになった石仏は三月十二日に完成しましたが、四月十九日には次なる事件が発生します。
 その日、弘教寺では大衆法問が開かれており、その最中に羽生村の年寄・庄右衛門がやって来ました。
 法問を終えた祐天に、庄右衛門は「また累が来て菊を責めている」と助けを求めます。その苦しみようは以前より百倍になったような激しさで、宙に揉み上げ転倒する五体は赤くなり、熱を発して目玉も抜け出しているという、地獄の責苦にも勝る凄まじい有様でした。「累よ、菊よ」と呼びかけても返事はなく、責めはひたすら続いているといいます。
 祐天は先に庄右衛門を村へ帰し、「釈迦、弥陀、十方の諸仏たち。たとい定業限りありて菊が命は失するとも、再びここに押し返し、我が教化にあわせたまえ。菊を捨て置きて、我を外道に成したまうな。仏法の神力、この度ぞ」と心中で祈願し、勇ましくも羽生村へ向かいました。

 村に着いた祐天は、庄右衛門の言葉通りの凄惨な光景を目にします。
 菊は床から一尺余りも浮き上がり、その身を異様に屈曲させて苦しんでいました。
 祐天は慌てることなく、まず菊に憑いた者の正体を見極めようとします。名主たちが今朝から何度も尋ねたが一言も返答はないとのことでしたが、祐天は改めて声高に素性を問い質しました。
 問いかけを繰り返すと、菊の目は元に戻り、体の赤みも引いていきました。
 しかし祐天の顔をまじまじと見て涙を浮かべるばかりで、答えの返ってくる気配はありません。そこで祐天は怒りも露わに菊の髪を掴み上げ、「おのれ第六天の魔王め。人がものを言うのになぜ返事をせぬのか。ならばただちに捩じ殺すが、どうだ」と声を荒らげました。
 その時、菊が息も絶え絶えに何事かを呟きました。
 祐天にはただ「す」としか聞き取れませんでしたが、名主によれば「助と申すわっぱし(六、七歳の男の子)でございます」とのことでした。
 助は菊の口を借りて「糧摘みに行くと言って、松原の土手から絹川へ逆さに落とされた」と言います。大方この子を川へ突き落したのは親であろうと推理した祐天は、子細の調査を渋る名主を厳しく批判します。
 結果、他村の者も含めて詰めかけた人々に広く情報を求める呼びかけがなされ、詳細を知るらしい八右衛門なる六十歳の男が呼び出されました。

 八右衛門は助が現れたと聞くと、涙ながらに過去の出来事を語りました。
 助が水死したのは六十一年前のことで、この子は累の実父・先代与右衛門の妻の連れ子だったといいます。
 助は目と手足に障害があったため、与右衛門には養育を拒まれていました。与右衛門は妻に、助と暮らすなら出て行けと言いつけますが、親にさえ疎まれる子の貰い手など見つかるはずもありませんでした。
 妻は我が身のため、助を騙して土手へ連れ出し、川へ突き落して殺しました。与右衛門はそれこそ女の働きと妻を褒め、以後は仲良く共に暮らしたといいます。
 やがて与右衛門と妻の間に生まれた女の子は、助に生き写しの片端者でした。
 すなわちこの女子が累で、今度は与右衛門の実子であったために養育されることになったのです。
 やがて両親が死んで独りとなった累は、当代与右衛門を婿に迎え、因果なことに彼の手で絹川において殺害されたのでした。
 助が死んだのは慶長十七年、累が死んだのは三十五歳の秋であったといいます。

 この話を聞いた祐天は、助に向かって菊に憑いた理由を尋ねました。
 助は「累が成仏したのを見て、羨ましく思い、来た」と言います。また、助は六十一年もの間、昼夜水中にいて水を食らっていたとも語りました。
 名主が祐天と助の会話を伝えると、人々はみなこの幼子を哀れんで涙しました。一方で若者たちは「さてはこのわっぱしは、昔から霊山寺淵に棲んでいる河伯(かっぱ)ではないか」と囁き合います。この河伯は雨が降れば土手に上がり、川へ身を投げるような動作をとって叫び声を上げるといわれていたものです。
 助が今まで沈黙していたのは、周りに助けてくれる者がいないと分かっていたからだといいます。
 「ではなぜ私が助けに来てからも黙っていたのか」
 祐天がそう問えば「これで助かると思い、嬉しさのあまり声が出ませんでした。それなのに和尚さまは、無体にも私を引き据えなさった」と言います。この言葉には祐天も涙を禁じ得ませんでした。
 そして助を成仏させるために「単刀真入」の戒名を記した紙を柱に貼り付けようとした時、集まっていた人々は、戒名に縋りつこうとする影のような童子の姿を目にするのでした。
 一同が南無阿弥陀仏と唱えると、辺り一面は夕陽で光り輝き、さながら浄土のような金色の装いとなりました。

 その後、祐天は医者に薬の調合を頼んで菊の治療に努めました。その甲斐あって菊は二十日ほどで本復し、祐天に救われたことから、剃髪して彼の弟子となることを望むようになりました。
 しかし、祐天はこの願いを受け入れようとはしませんでした。
 怨霊に苦しめられ、夫や父にも過大な苦労がかかったのであるから、これよりは息災な身をもって彼らと安穏に暮らせと教え諭され、また菊を不憫に思っていること、尼になった後に受けるであろう扱いが決して菊のためにならぬことを懇々と説かれ、彼女は遂に出家を諦めるのでした。
 
 死霊が去ってからは、累の執念のために不作だった田畑も収穫が増え、家も段々と栄えていきました。
 『死霊解脱物語聞書』が出版された頃には、菊は二人の子を設けて平穏な暮らしを送っていたとされています。


▽註

・『死霊解脱物語聞書』…元禄3(1690)年刊。残寿作。浄土宗勧化を本旨として、祐天らから聞き取ったという羽生村憑霊事件の顛末を記す。


▽関連


河童
幽霊





 祐天がかっこいいので前編とあわせて長々と書いてしまいました。まさに江戸のエクソシスト。
 さんざん死霊に苦しめられるお菊ちゃんが不憫ですが、事件の後は幸せに暮らしているらしいことが明かされるのでいくらか安心します。