■人形神[ひんながみ]
▽解説
富山県礪波地方に伝わる憑物の一種です。
ヒンナとは人形のことで、かつては急に財産家となった家があると「あの家はヒンナを祀っている」などと噂されました。
ヒンナ神は「墓場の土を三年の間に持ってきて三千人の人に踏ませたもの」から作るといい、これよりも念の入ったものとなると、七つの村の七つの墓場から持ってきた土を人の血で捏ね、自分の信じる神の形に作り、更に人のよく通るところに埋めて千人に踏ませるといいます。
あるいは、三寸ほどの人形を千個作って鍋で煮ると、一つだけ浮かび上がってくるものがあります。
これはコチョボというもので、千の霊が宿った人形だといいます。
これらヒンナ神を祀ると、欲しい物はなんでも持ってきてくれる上に、次々用事を言いつけなければ「今度は何だ、今度は何だ」と催促するまでになるため、家はたちまち裕福になります。
しかし一度ヒンナ神を祀れば、祀った者が死んでも離れることはなく、死ぬときには非常に苦しみ、遂には地獄に落ちるという代償があるとされています。
並の執念では作れそうにない人形ですが、そうして生まれた人形神自身も相当に執念深い性質の持ち主で、なんだか怖い話だなぁと思うのでした。
コメント
コメント一覧 (6)
やっぱりteraさんはすごいや。
「人を呪わば穴二つ」というか、現世で来世のツキを使い果たすというか…
この調子でいくと願いの叶え方っていうのも人の足を引っ張るような
ろくでもない方法なんだろうなあ
イラストはマスクが血まみれの赤ん坊のおむつになってるみたいなアレンジが
ものすごく穢れに満ちてブキミな感じがほとばしってていいですね
表向きに働く泥人形はヨリシロにすぎなくて、その裏に顔のわからない
なにやら大きな力を持った何者かが控えているという感じ、こういうのが好きです
泥人形は各々自分が信じる神の形に作っていいということなら、人形を動かしてるもの、宿ってる魂は何者なんだろう?なんてことを考えながら描いてた覚えがあります
ここは私の知らない妖怪がいっぱいいて嬉しいです。
人形神、恐ろしいですね。まるで昔の鬼太郎のアニメの地獄玉の話ですね。
あれは人間の欲望が恐ろしいですが。一番、恐ろしいのは人間ですから。
某奇異太郎の妖怪絵日記の人形神は情けない感じでしたけれど。
地獄玉を見習えという感じです。
コメントありがとうございます。
喜んでいただけまして何よりです。妖怪はいくら調べても知らないやつがどんどこ出てきて楽しいですね。まだ見ぬ妖怪資料を探してこい!なんて人形神に命じたら持ってきてくれるんでしょうか。代償が大きすぎますけども。
地獄玉(幸福という名の怪物)だと欲望のキャパシティに上限があって強制的に歯止めがかかっちゃうという不幸があって、人形神には一旦願い事をするとその後もずっと頼んでないといけない、欲望を増幅させていかなければならない不幸が生じてくるのが、それぞれ別方向に恐ろしいよなぁと思いますね。禍福は糾える縄の如しってこういう場面にも当てはまる言葉なんだろうなぁ、と
地獄玉が登場する話、『幸福という名の怪物』ですからまさに地獄玉が幸福の怪物ですね。人形神や地獄玉よりも人間の欲望の方が恐ろしいです。駄目人間製造機ですね。みんな『幸福という名の怪物』の中村夫婦になるんでしょうか、こんなものがあったら。
そういえば、『魔法の自動販売機』という絵本が出ましたが、あれはきれいな話でしたが。もしもあんな自動販売機があったら、怖いですね。それに依存したら。公平の母親と中村夫婦、人はどちらになるんでしょうか。