千々古

■千々古[ちぢこ]

▽解説

 『太平百物語』にある妖怪です。

 ある城下の大手御門の前には、毎晩千々古なる化物が出るという噂が広まっていました。そのため人々は日が暮れてからは、大手を避け搦め手まで回り道をして用を済ませていました。
 あるとき小河多介という若侍が化物の正体を見届けようとして、夜ひそかに大手御門の前を訪れました。
 周囲の様子を窺っていると、やがて本当に化物が現れました。
 よく見ればそれは鞠のような形をしたもので、地に落ちてはまた宙に浮き上がり、西に行ったかと思えば今度は東へ走るといった具合に絶えず動き回っていました。また動くたびに何やら物音も聞こえてきます。
 多介はしばらく冷静に様子を見ていましたが、化物が頭上に飛び来た瞬間に刀を抜いて斬りつけました。
 斬られて地に落ちた化物をすかさず捕えると、多介は「音に聞こえし千々古の化物こそ仕留めたれ」と大声で人を呼びました。
 提灯を持ち集まった人々と共に斬った化物を見たところ、その正体はなんと本物の鞠でした。中には小さな鈴が入っており、この鈴が鞠に揺られて音を立てていたのだとわかりました。
 化物など本当はいなかったことが明らかになり、多介をはじめ人々は呆れて大いに笑いあったのでした。
 悪戯者たちが鞠を結いつけた縄を使い、夜な夜な人を脅かして戯れていたというのがこの怪異の真相だったといいます。


▽註

・『太平百物語』…享保17年(1732)刊。菅生堂人恵忠居士作の怪談集。全50話。




 そんなオバケはいなかった――というオチでありながら水木しげるに描かれているし、妖怪事典にも載っていたりします。
 正体が明らかになるまで、人々の心の中には確かに千々古がいたのです。妖怪の真の棲み処はきっと心の中なのです。