付喪神

■付喪神[つくもがみ]

▽解説

 器物が長い歳月を経て変化した妖怪の総称と解釈されているものです。「九十九神」とも表記します。

 つくも、九十九髪といえば老女の白髪を指し、その連想から物が妖怪に化すのを「つくもがみ」と呼んだようです。
 付喪神の物語として最もよく知られる御伽草子『付喪神記』には「『陰陽雑記』云、器物百年をへて化して精霊を得てよく人を誑かす。是を付喪神と号といへり」とあります。
 無生物である器物も百年経てば魂が宿り付喪神となって人を惑わすので、人々は新春を迎える前に古道具を路地に捨てる「煤払い」を行っていたといいます。

 また、『付喪神記』の物語は以下のような内容となっています。

 康保(964~968)の頃、立春に先立つ煤払いで捨てられた京都の古道具たち長年家具として奉公したにもかかわらず捨てられたことを恨み、妖物と化して復讐しようと一所に集い合議していました。
 数珠の一連入道だけはこれを戒めますが、血気盛んな手棒の荒太郎に叩き出されてしまいます。そして器物たちは古文書の精である古文先生の教えを受け、次年の節分に妖怪と化すことに成功します。
 かれらは長坂の奥を根城として、京白川に出ては人畜を取って喰らい、酒盛りをして舞い遊ぶ日々を送るようになりました。
 船岡山の奥にはかれらを化物になした変化大明神を祀り、四月五日には祭礼と称して、一条大路で行列を作って東へと進みました。参内するため西へ進んでいた関白の行列はこの妖怪の集団と遭遇しますが、尊称陀羅尼の力でことなきを得ます。
 妖怪の横暴を耳にした帝は、さっそく高徳の僧侶たちに祈禱を行わせました。すると護法童子が現れて妖怪たちの本拠地を襲い、その強大な力をもってあっという間に降服させてしまいました。
 妖怪たちはこの仕打ちを殺生の仏罰と解釈して発心し、かつて袂を分かった数珠の一連を訪ねます。一連は今や山奥に隠棲する上人となっていました。
 一連上人は事情を知ると快く妖怪たちを受け入れ、出家させて真言の教えを授けてやりました。
 月日は流れ、上人は百八歳で即身成仏し、弟子の妖怪たちも修行を積んで、みな成仏したということです。
 
 
 大徳寺真珠庵の『百鬼夜行絵巻』に代表される、妖怪達が行列を成している様子を描いた絵巻の類にも、靴や琵琶、扇、匙、傘といった器物の怪が数多く描かれています。
 また、鳥山石燕はこれらの図を元に『百器徒然袋』で多種多様な器物の妖怪を創作しています。
 各地の民話や種々の怪談集、随筆の類にも、古くなった器物が化けて出る話を頻繁にみることができます。
 しかしこれらが「付喪神」という言葉のもとに一括りにされるようになったのは現代になってからのことと考えられます。
 そのため、創作、娯楽においてはともかく学問的な切り口から器物の妖怪を論じる際には、「付喪神」の扱いに注意が必要です。


▽註
 
・『付喪神記』…御伽草子。16世紀頃の成立。付喪神絵巻とも。岐阜県崇福寺蔵のものが知られている。捨てられた古器物が鬼と化して暴虐の限りを尽くすが、最後は護法童子に退治されて仏法に帰依する様を描く。 



 妖怪図鑑第99回更新なので九十九神さんでした。

 元記事投稿:2010年12月11日
 加筆修正:2014年10月20日